【十人桐色】#09 『徒然コラム』 橋本 春菜

 

皆さんこんにちは。

跳躍・混成ブロック、混成パート4年の橋本春菜です。

この度、このような貴重な機会を設けていただき、本当にありがたく思います。

 

皆さんは、本競技部の十人桐色、個人コラム、また、他の部の部員ブログなど、読んでいますか?私は人の話を聞いたり読んだりすることが好きで、本競技部の記事はほとんど読んできました。その中で毎回、みんなの言語化能力の高さに驚いています。短いな、もっとみんなの話を読みたい!と思うこともしばしばです。筑波大学には自分の考えを持った人が本当に多いと思います。これだけ規模や影響力の大きい部活でこういった企画を運営していくのは本当に大変だと思うけれど、頑張ってくれている人たちのおかげで、筑波大学陸上競技部がより素晴らしい部になっていると思います。ありがとう。

 

私も心の中ではかなり色々思っているタイプで、話したいことは山ほどありますが、基本的に話すのはとても下手です。いざ機会を頂いた今回、私に何が求められているのか分からず困惑しておりますが、せっかく頂いたチャンスなので長々と語ってしまうと思います。今回は、コラムにしては長すぎてしまうかもしれません。そしてオチもありません。

願わくば、普段応援してくださった方々に感謝が伝わり、かつ、頑張りすぎてしまう人が多い筑波大学陸上競技部のみんなや、その他この競技部に興味がある方々に、何か届けばいいなと思いながら、競技部にはこんなことをぼんやりと考えている人がいるよ、というのを徒然なるままに書き連ねていこうと思います。私のことを知っている方は、あー、橋本らしいまとまりのない文だな、と思われるんじゃないでしょうか。

見るに耐えない稚拙な文章ではありますが、お時間のある方はお付き合いいただけると幸いです。

 

初めに、私の競技経歴についてお話させていただきます。走り幅跳びとハードルを専門にしていた中学時代、走り幅跳びで出場した全中は、手応えのあった最終跳躍でファールして予選落ちしました。高校2年から七種競技を始め、インターハイは関東大会で最終種目の800mを逆転されて逃し、3年間出場経験がありません。最高成績は全国高校選抜での10位。そこそこの大会までは進めても、いまいちパッとしない選手でした。華々しい成績は収めておらず、一般入試でなんとか筑波大学に入学しました。しかし大学入学後、着々と記録を伸ばし、3年次には日本インカレ2位、日本選手権5位という成績を収めることができ、コロナで苦しんだ4年次にも、日本インカレは撃沈したものの日本選手権ではなんとか8位に食い込むことができました。いまいちパッとしないところから、全国大会でコンスタントに入賞できるようになった。これはサクセスストーリーっぽい。大学に行ってから、とんとん拍子で成功しているね、と言っていただいたことや、励まされてる、と言っていただいたこともあります。私の場合、一般入学で特に背負うものもなく、勝利を期待されているから勝たなければ!とか、今まで通り勝ち続けなければ、とかもありませんでしたし、どちらかと言えば自分のために競技をしていたので、そんな私でも応援してくれたり、気にしてくださっている方がいることは本当にありがたく、幸運だったと思います。決して強い選手ではなかった私がなぜ、大学に来て記録が向上したのか、考えてみました。

 

◯自分は恵まれていた

私の競技生活において、周りの人には本当に恵まれたと思います。中学・高校・大学と、私が陸上を通じて出会った人は、大好きな人たちばかりでした。人見知りで引っ込み思案な性格の私は、あまり交友関係を広く持てないので、仲良くしてくれる競技部の先輩、同期、後輩、みんなが本当に本当に大事な存在だったし、メニューの相談や試合では、この人たち、ほんとに仲良い?と思えるほどの口論になったり、逆に試合に集中して何も話さなくなったりもしたけれど、子供じゃない、いい年した大学生がお互いにそこまでムキになって、真剣になっていたのは、すごいことだったのだなとつくづく思います。

家族やコーチ陣などの大人達にも恵まれ、中学校から大学まで、強制したり、縛り付けたりするような人は一人もおらず、自由に競技に向き合わせていただけたなと心から感じます。そもそも、自分は勝ち気な、ザ・アスリートなタイプではありません。些細なことでとても落ち込むし、「でも…」と考えすぎるし、卑屈になるし、すぐ悲観的になる。メンタルも全然強くありません。頻繁にアドバイスを貰いに行く訳でもなく、そうかと思えばしつこく指導を求める。気まぐれで扱いにくかったと思いますが、そんな私に背負い込ませ過ぎず、ある程度ほっといてくださり、私の考えを聞いたり、アドバイスを求めれば一緒に考えたりしてくださる沢山のコーチ陣が、中学校から大学に至るまで、私の競技生活を支えてくださいました。

 

◯成功のカギ?

私が大学で成績が伸びた理由のひとつに、ある程度(本当にわずかにですが)客観的に自分が俯瞰できるようになったことが挙げられると思います。アスリートらしくない、と先述しましたが、唯一、スポーツ人らしいところがあるとすれば、私は根に持つタイプでした。悔しかった経験や、言われて悔しかったことはいつまでも覚えていて、絶対見返してやろうと思う。典型的な負けず嫌いですね。しかし実際の練習では、一つも勝てないことも、できないことも当然多いです。負けず嫌いが災いして、特に大学に入ってからは練習中、練習後、家に帰って、何度も泣いていました。練習だけでなく、人間関係や部の仕事に関しても、しょっちゅう嘆いていました。そうした普段感じるしんどい気持ちを、私は全部ひっくるめて陸上ノートに吐き出してきました。

中学生の頃から書き続けている陸上ノートは、初めこそその日の感想と先生からのアドバイスが中心でしたが、大学ではアドバイスや練習中に感じた技術的なメモに加えて、精神的な辛さや苦しさ、ネガティブな気持ちを吐き出すノートに変わっていました。ほぼ日記です。箇条書きで書き殴っているので、読み返すと生々しい気持ちが鮮明に甦るけれど、昔のことだと時効になって意外と笑えたりもします。ノートには、どんなに苦しかったか、きつかったか、練習についていけない、全然勝てない、できない、もう駄目だ、無理だ、笑っちゃうくらい沢山書いてあります。とにかく書きまくることで、しんどい思いをしている自分と、少し落ち着いて自分を見られるもうひとりの自分が分かれてきたような印象です。リトルホンダ的な。なんか怖いですね。そんなポジティブとは言い難い私ですが、陸上競技そのものに対しては嫌いだと思ったことがありません。もう辞めたい、と思ったこともありません。嫌いな練習等はもちろんあり、その日は朝から気持ち悪い、なんて時もありましたが、本気で「陸上」が苦しいとは思ってはいないから、明日も笑って練習に行ける。陸上ノートに全部書き出すことで、自分が苦しいのは陸上そのものじゃなく、できない自分や上手くいかない自分なんだなとなんとなく理解することができ、そのおかげでしんどくても陸上そのものから心が離れることなく競技生活を送れました。

また、大学で成績が伸びたもうひとつの理由に、試合において、成績だけではなく「対自分という気持ちで挑めるようになったことも挙げられると思います。初めに書いたように、中高はあと一歩の試合ばかりでした。大事なチャンスを試合で逃すたびに落ち込み続け、高校最後の選抜大会で10位だった時に、「あっ、入賞してないのに悔しくない。もう負け慣れているなー、これじゃいかんな」と思ったのを覚えています。当時、これは競技者として致命的で、これでは強くなれないと思いました。でも、あと一歩で次に進めなかった、負け慣れた経験が、大学においてフラットな気持ちで競技に向き合えるようになったきっかけになったのかもしれません。毎回勝てなくてもいい。順位だけでなく、自分の中の目標で、一つでもベストや収穫があれば一歩前進。そんなマインドで試合に臨めるようになって、自然と毎回の試合でステップアップすることができるようになりました。

 

◯「陸上以外」のスペースを作る。休養の大切さ

ここまで読んでいただいてお分かりかと思いますが、このように難儀な性格なので、競技成績だけ見れば絶好調なようで、競技でも色々悩みましたし、競技以外でも運営執行部や委員会など、全然仕事ができなくて悩んだりもしました。キリがないので、またの機会に…

しかし、大きな怪我だけは一度もしませんでした。怪我がないのは競技者としては大きな強みです。本競技部は(少なくとも跳躍・混成ブロックは)シーズン中、自分のメニューは自分で作ります。もちろんいち学生が持っている知識は大したものではないので、コーチや先輩、仲間、色々な人の意見や考えを仰ぎます。そうやってそれぞれが異なる練習をしている環境では、どうしても練習時間が長いと強くなれる気がします。自分を追い込んで、練習後も自主練をしてから帰れば他の人と差がつく気がします。実際、練習時間が長ければ、それだけ伸びるんだと思いますが、生身の人間、少しでもやりすぎれば怪我やバーンアウトに繋がります。

本競技部の部員はみんな本当に頑張り屋さんなので、そんなことは分かっていてなお、練習を早く切り上げて帰るのに勇気がいると思います。仲が良い上にライバル心もあるので、ついついやりすぎてしまうこともあると思います。私自身、周りがまだ練習していて焦る気持ちはあるけれど自分は完全に集中力が切れている、という状況に何度も陥りました。これ以上やっても良くはならないと思った時は、もしかしたらここを乗り越えれば強くなるかも!という気持ちを抑えつつ、「帰るのも練習!」と自分にめちゃめちゃ言い聞かせて、後ろ髪ひかれる思いで帰っていました。もしかしたらあの時本当にもう少し強くなっていたかもしれないけれど、怪我をしてマイナスだったかもしれない。その塩梅は難しいし、正解はないと思います。しかし、「腹八分目」が次のごはんの楽しみを作ってくれるように、あともうちょっと…を持ち帰ることがモチベーションの維持に繋がるとは思います。

今、怪我をしているなら、どうしてその怪我に至ったのか、長引いているなら尚更考えてみてほしいです。練習しすぎていませんか?帰って休むこと、帰って練習の振り返りを頭の中ですることも立派な練習だし、疲れているならそれさえも休めばいいと私は思うのです。せっかく大学まで続けている陸上で、悲しい思いをしたり嫌いになったりして欲しくないなぁと思います。「陸上」が自分の中で大きく膨らみすぎて危なくなる前に、「陸上以外」の心のスペースを活用して上手に力を抜いてみてください。

私の場合は、陸上以外にも陸上と同じくらい好きなことが沢山ありました。私は動植物や細かい作業が大好きです。心が疲れたときは雑木林や田んぼに出かけたり、絵を描いたり、ミサンガを織ったり、折り紙を折ったり。没頭する性分なので、一度始めたら永遠にやっています。昨年の自粛期間中は、練習が思うように出来ない焦りや、最後のシーズンに最高のパフォーマンスをするために辛い冬季練習を積んできた矢先の先が見えない苦しさから逃れるように創作活動に勤しみ、自分ギャラリーがだいぶ豊かになりました。スマホは季節折々の自然の写真で一杯になり、たいていのミサンガや折り紙は作れるようになりました。

とにかく適切に心と体を休める。私は心に余裕がないと陸上どころか何も手につかなくなってしまうため、これは私の中で最優先事項でした。

 

 

〇おわりに

このコラムでは、私が陸上やこの競技部を好きだからという理由で、一方的に皆さんに想いの共有を強いた訳ですが、なぜ大学で記録が向上したのか?という疑問についても、(偶然が重なったといえばそれまでですが)自分なりに考えていたことや気にしていたことを書いてみました。いかがでしたでしょうか。

特に大学陸上では、楽しいことももちろんありますが、多くの人が親元を離れたり、高い競技レベルや豊富な知識を持った人たちと切磋琢磨したりと、これまでとは全く違う環境に身を置いて生活・競技することになります。その環境で、これまで自分が培ってきた価値観や自信のようなものを見失ったり、傷ついて崩れてしまうこともまた多いケースではないかと感じます。私はプレッシャーこそ少なかったものの、環境の変化や価値観の違いに打たれ弱いので、強い人たちと練習できるのは良い刺激にもなるけれど、周囲と比べてがっかりすることも多かったです。それでも今回述べたように、まぎれもなくしんどい思いをしている自分の気持ちを受け入れることで整理したり、良い意味で熱くなりすぎず、フラットな気持ちで競技したり、休む時にはとことん休んだりして、小さい一歩を積み重ねてきました。

偉そうに語ってきましたが、さして特別なことではないので、そんなこと分かっとるわ!と思われるかもしれませんし、私なんかとは置かれている状況や立場が違う方も多いと思います。ネガティブなことばかり書いてしまったので読むの疲れたわ、という方もいると思います。でも、この競技部は本当に魅力的なので、頑張りすぎてしまう人や今、部活がつらい人、競技がうまくいっていない人に、もっと自分自身や競技、競技部のことを好きになってもらいたいと心から思います。

 

案の定まとまりませんでしたが、お世話になった方々に少しでも感謝の気持ちが伝わり、私の考え方や趣味の例が悩める誰かの頭の片隅にでも残れば、それ程嬉しいことはありません。

私も自分のことが好きになれない時が多いですが、それも皆さんと一緒に少しずつ乗り越えていけたらいいなと思います。

 

歴代部員コラムの中で一番長いんじゃないでしょうか。最後まで根気強くお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。

 

今後とも、筑波大学陸上競技部への応援、よろしくお願い致します。

陸上競技部の皆さんの益々のご活躍を願い、文末とさせていただきます。

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体育専門学群 4年

茨城県出身

水戸第二高等学校

跳躍・混成ブロック 混成パート 七種競技

トレーナー委員会・運営執行部