【十人桐色2026】#23「理由」照内淳和

男子長距離ブロック6年の照内淳和です。

この度十人桐色の執筆をお願いされ、まさか自分が書く側になるとは思っておらず、驚いています。

というのも私は大学陸上競技の中で大きな成績を残すこともできず、選手としてもサポートや最上級生としてもチームを箱根に導くことは一度もできませんでした。そんな自分が執筆することといえばなんなのだろうかと国家試験終了後からちょくちょく考えていました。

書いてほしいと依頼をくれた後輩の期待に応えられているかは分かりませんが、大きく2つなのかなと思いました。

一つは実力を客観的にみたら選ばないであろう箱根駅伝を目指していたということについて、二つは自分なりに考える自らが成功しなかった理由について書こうと思います。

私が高校3年生の時に達成された筑波大学の箱根駅伝出場は、目指していた大学が箱根駅伝に出たということに興奮を覚え、自分の箱根駅伝を走りたいという中学生のころから描いていた夢が、より形のあるものに変わりました。

ただ私は、高校時代は県大会の決勝に行ける程度の実力しかなく、関東駅伝でも区間順位は中の下といったところでした。さらに医学類に入学し、客観的にみれば箱根駅伝を目指すことは実現可能性が低いように見えました。

肝心の大学では怪我が多かったです。2年次からアキレス腱の痛みに悩まされ、4年次はほぼ一年間走れませんでした。

そんな4年次自分が走れていないことを情けなく思っていました。そんな気持ちを抱えながらも悔しさよりもチームの迷惑にならない為にはどうすればいいかとか、他人の頑張りを心から喜べていない自分がいました。自分は悔しさよりも他人からどう思われているかを優先し、人の努力を認められない人間になってしまったのかと思い、予選会までチームのサポートをやったら辞めた方がいいのかなと考えたりもしました。ですが、とある練習(予選会メンバーの練習の中では重要な練習)の日に、バイク練習と補強を終え、みんなの動画撮影をしようと思い競技場に戻った時です。みんなの走る姿を見て、涙が止まらなくなったのを覚えています。その時は自分の気持ちも分からないまま、人に見られないよう剣道場の奥の茂みで号泣しました。予選会が終わり一度考える期間をいただいた時に、「俺やっぱり悔しいんじゃん、もう一度走りたいと思っているし、ここであきらめたくないと思っている」と感じ、再度部活に復帰しました。5年生の6月に再度走れるようになり、そこからは痛みを抱えながらではありますが、長期の離脱することな競技に復帰することができました。残りの2年間は、4年生までのころとは違い予選会メンバー争いには絡めたものの最後まで箱根駅伝どころか予選会にすら出られずに終わってしまいました。実現可能性に関わらず、挑戦したいという気持ちがあったから6年間続けてこられた気がします。

続いて私が成功しなかった理由です。

1つは正しい努力ができていなかったのだろうと思います。量やその一瞬一瞬での頑張りに気を取られ、根本的な解決策に愚直に取り組み切れていなった。長期的な成長を描くには怪我が多すぎ、目の前の結果にこだわりすぎたように思います。結果的に最終目標への丁寧な成長プランを自分の中で描けなかった。X月に5000mをこのタイムで走って、選抜合宿に行き、予選会を65分で走るといったような目標は立てていましたが、そのために今何をすべきか(補強の内容、身体の感覚とジョグの量のすり合わせ、必要な筋力の分析など)の考えが浅かったように思います。

2つは飢えが足りませんでした。私には高校の同期であり、大学の同期であり、現在は実業団で活躍する、彼がいなかったら今ここにはいないと思える平山と、大学の学類の同期でハーフマラソンのスペシャリスト塚田がいます。私は彼らの競技対する姿勢と、努力する姿勢を尊敬しています。ですが、私はいつしか彼らに勝ちたいと思わなくなってしまっていました。彼らのようになりたい、自分も努力して箱根駅伝を走るんだという気持ちはありました。ですが、彼らに追いつきたい、追い越したいという飢えがあまりなかったように感じます。

二人に共通することは当たり前の努力の基準が高いということです。私からすれば努力のように見えることも必要だからやるという当たり前になっているレベルが数段高かったです。

私は彼らの努力を見習い、頑張ろうと思い取り組むことはできていましたが、その努力の正しさに欠け、さらに彼らに勝ちたいという強者への飢え、自らがより高い目標を目指す勇気が足りませんでした。これが成功しなかった大きな理由だと思います。

さて、昨今は個性を伸ばす、その子の得意な分野を伸ばそうとする動きや遺伝子検査でどんな分野が向いているかを調べる動きまであります。社会でも適材適所が声高らかに叫ばれ、非効率は悪者として排除すべきものとしてより考えられるようになってきています。そんな中では自分に競技適正がないのではないかと考えたり、口にすることが憚れる時があるかもしれません。

ですが私が高校生の時に感じた胸の高鳴りは本物であったし、みなさんが今、夢を追いかける原動力はきっと眩いものであると信じています。それらを実現可能性に関わらず挑戦できることは幸せなことです。その夢のため努力をしていると思います。それなら私に足りなかった飢えを持ち、正しい努力を積み重ねてほしいと思います。

そしてその中で出会った自らの感情は、素晴らしいものであっても醜いものであっても、全力で取り組み悩まなかったら知らなかった自分だと思い受け入れてあげてください。

6年間挑戦させてくださった筑波大学陸上競技部に感謝の意を述べて私の執筆を終わりにしようと思います。ありがとうございました。