【十人桐色2026】#34  「全ての人と環境を糧に」髙橋亜珠

こんにちは。

短距離障害ブロック4年 髙橋亜珠です。

今回は十人桐色執筆の機会を頂きありがとうございます。お話を頂いてからしばらくの間何を書こうか考えていましたが、とりあえず筑波大学でのラストシーズンにかける思いを、これまでを振り返りながら話させてもらいます。

だいぶ遡りますが、私が陸上競技と出会ったのは小学校六年生の時でした。

東京から山形に引っ越した時に、市の陸上大会に走り高跳びで出場し、運良く全国大会までいけたのがきっかけで中学校では陸上部に入りました。それまで習い事はチアリーディングとダンス、ハンドボールを1年間だけしかやった事が無くて、運動会で走るのは好きだけど陸上部に入るなんて考えた事も無かったです。

そこからは凄い早さで時間が経って、正直陸上にかける思いはそんなに強く無かったし、受験勉強したくないから陸上続けようくらいの気持ちで高校生になりました。

中学校では四種競技をしていたので、高校では七種競技に挑戦することも考えましたが、投擲種目が苦手だったのと800mが嫌すぎて断念。。

100mHを主に最後のインターハイでは100mと200mも走りました。

高校時代は本当に毎日必死に生活していて、朝5時45分に家を出て遅い時は21時半頃帰ってくる生活を送っていたので、正直1年生の頃は「早く帰りたい」とばっかり思っていました。冬は寒いし。

だけどやっぱり仲間と先生方の存在は大きくて、見ていてくれる人・隣で走ってくれる人がいたから徐々に前向きに取り組めるようになったと思います。

ここまでの陸上人生で、ハードルだけはギリギリ楽しいと思えたので大学でも陸上競技を続ける決意をしましたが、私が筑波大学に行こうと思ったのが3年生の10月でした。 遅すぎです。

その節は本当に先生方や周りの大人達を困らせてしまったと思いますが、もし筑波大学に入学できていなかったら競技を辞めていたので今でも本当に感謝しています。おかげで安心してたっぷりと高校生活最後の思い出を作れました。

私の陸上競技に対する思いが大きく変わったのは大学に入学してからです。筑波大学陸上競技部は大きな組織ですが、それぞれがちゃんと自分の信念を持っていて、その上でインカレでは男女共に総合優勝という同一の目標に向かうその体制が、私の目にはとても強く美しく見えました。そして高校時代よりもさらに外側に人間関係が生まれ、初めての海外での試合も経験し、そこから私の競技に対する考え方は徐々に変化していき、高校時代までは「人生の一部分」であった陸上競技が、だんだんと「人生の中心」になっていきました。

そして学生最後のシーズンを迎えた今。

個人としてレベルアップするのはもちろんですが、私を競技者として大きく成長させてくれたこの環境に、特大の恩返しをするのが今シーズン一番の目標です。

話が少し変わってつい最近の事になりますが、世界リレーに男女混合4×400mRの代表として選出して頂き、初めてのシニア代表を経験しました。開催国であるボツワナに出発するまでは、代表に選んで頂けただけで驚きと喜びでいっぱいで、到着してからもしばらくはそんな浮ついた気持ちでいました。しかし試合が近づくにつれて、自分が走るかもしれないという緊張感と、これまでとはまた違う高揚感が生まれました。そして今までと一番違った事は、

「試合で1本も走ることが無かった」

ということです。

多分出発前に私に言ったらめちゃくちゃ安心すると思います。

だけど実際に現地に行って色んな選手のアップを見たり、メインのグラウンドで走ってる日本代表選手の姿をスタンドから観て、「私も走りたい」ってちゃんと思えました。自分でもびっくりだし、多分これが一番の成長です。 400は正直好きじゃないけど、種目は何でもいいから次は走りたいって感じた事を忘れないでおこうと思います。

とくに終着点を決めずにつらつらと書いていたら長くなってしまいましたが、とにかく今の私は感謝したい人達がいっぱいなんです。

幼い頃からやりたい事はなんでもやらせてくれた母、小学校六年生以降たった一人で私の面倒をみてくれた祖母、いつでも一緒にいてくれて強い背中を見せてくれた友人達、そして競技者としての力を与え続けてくれた多くの指導者の方々、それ以外にも、私と少しでも関わってくれた全ての人に感謝しながら、成長への貪欲さを忘れない選手でありたいと思います。

最後になりますが、普段からこういう事を口にするタイプでは無いので、試合で全てを表現出来るよう頑張ります。

見ていてもらえると嬉しいです。