【リレーブログ】#4 『支えられること』松井駿斗

長距離ブロック長の平山さんからご紹介預かりました、跳躍ブロック長の松井駿斗です。

大雅とは、1年生の頃に初めて会い、人見知り同士で話せるまで時間がかかってしまいました。でも、普段何周も競技場や大学内のループを走り、ある日は少し遠いところで買い物をした帰り道で、大学からはとても離れたところで走っているのを見たこともあり、自分も頑張らないと思うと同時に、200mのジョグでばててしまう私からしたら尊敬でしかありません。
大雅の紹介でもあったように私の足はとても細く、シューズを買いに行くと長距離用のものを店員さんが出してくるくらいです。それでも自分は棒高跳びを専門としています。以後お見知り置きを!

 

私は自己表現が苦手で、普段は明るい振りをしたり、あまり深い話をしなかったりしてしまいます。しかし、リレーブログという素晴らしい機会を与えてもらったので、私が経験したことを皆さんに共有したいと思います。

私は昨年、跳躍中にマットの外へ落下してしまい、右大腿骨大転子部の骨折、左手舟状骨、月状骨周囲脱臼、いくつかの手の靭帯の断裂を負いました。すぐに病院に運ばれ、緊急入院となりました。また、その時新型コロナウイルスの濃厚接触に該当していることが分かり、1週間誰にも会えない状況でした。さらに医者からはもう棒高跳びはできないと言われました。この時の気分は真っ暗を通り越していて、何も考えなくても涙が止まらないくらいでした。


(松葉杖で歩いている時)

しかし、このような状況下で幸運にも私を身体的にも精神的にも支えてくれる人たちがいました。その支えは、何度も自分を助けてくださり、なんとか最低限の日常生活に復帰でき、さらに私の心にあった闇を少しずつ癒してくれるようでした。さらに続く毎日のリハビリの過酷な道のりに立ち向かう中で、私を励まし続けてくれる人に感謝の気持ちでいっぱいでした。また、競技場に足を運べば、仲間たちが私を待ってくれていました。彼らの存在は、私の心に明るい光を照らしてくれるようで、希望を与えてくれました。

正直に言えば、つらい時期には競技場や仲間たちから逃げ出したこともありました。それは、自分の中の限界に直面し、希望を見失った瞬間でした。そのような私でも背中を押してくれる人がいて、再び競技場へと戻ることができました。

それからは数々のリハビリを乗り越えながら、奇跡的に少しずつ棒高跳びができるようになりました。その過程で、私は自分の競技人生がただ私自身のものだけでなく、多くの人々の夢や希望もつまっていることを実感しました。

そして怪我から約半年後、久しぶりに試合の場に戻ってきたときは、感動と興奮、感謝に包みこまれました。競技に取り組めるという喜びと、それまでの苦難を乗り越えた達成感、私を支えてくれた人への感謝が私の胸を満たしました。再び自分の体で飛び上がり、高い空に舞い上がることができた瞬間は、また涙があふれてしまいました。(涙が出ているのを見られたくなくて、曇りで眩しくないのにサングラスをかけて跳躍していました。笑)
また、今年は関カレという舞台に立たせてもらうことができ、皆様には感謝しきれないほどです。

(競技復帰した時)

紹介したように競技人生の中で経験した困難な出来事は私にとって転機となりました。人からの支えやリハビリなどを通じて、身体の再建だけでなく、心の成長も成し遂げることができました。そして今の私の競技人生は、私自身の努力や忍耐だけでなく、支えてくれた人々のおかげで成り立っているのです。そう思うだけで私は今の陸上競技を真剣に取り組むことができています。これからもその気持ちを忘れずに、精一杯頑張っていきたいと思います。

(関東インカレ2023 右端が松井)

ここまで長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。この私の経験から、読んでくれた人に「自分が取り組んでいることは単なる自己満足ではなく、支えてくれる人の思いが詰まっていること、多くの人々に勇気や希望を与えることができる」などと再認識してもらえたらいいなと思います。

 

次は、混成ブロック長の新開俊智にお願いしました。彼は本当に陸上競技が好きな上に努力家で、いつでも競技場に行けば会うことができます。さらに今年の春に4年生の代で1番の伸びを見せてくれました。次回のブログでは、そんな彼の見方や考え方が垣間見えるかもしれません!楽しみです!

 

松井駿斗(まつい しゅんと

【個人ページはこちらから】

体育専門学群 4年

三重県/伊勢高校

跳躍混成ブロック/棒高跳

跳躍ブロック長

競技会委員会

 

前回担当、平山のブログはこちら