はじめまして。跳躍混成ブロック3年の柾木拓です。専門は走幅跳と100mです。
八重樫は跳躍の同期です。競技以外の活動にも精力的に取り組んでいて、その行動力とクリエイティビティには毎度驚かされます。彼女の多方面での活躍に皆様ご注目ください!
(前回担当、八重樫のブログはこちら)
広報委員長の酒井さんから原稿依頼を受けてから、何を書こうかと悩みました。身体が元気であれば私の家族のことを書こうかなと思っていたのですが、状況が大きく変わったので題材を変更しようと思います。ちなみに、私の姉は今年結婚します。(おめでとう)
私の大学での競技生活は怪我の連続です。全然興味ないと思いますが、既往歴を公開します。
1年次:内転筋肉離れ 恥骨疲労骨折 鼠蹊部痛症候群
2年次:大腿直筋肉離れ
3年次:大腿二頭筋肉離れ
肉離れはいずれも踏切脚である左脚です。肉離れしすぎて、「柾木a.k.a.肉離れ」と言われることもあります、ほぼイジメです。大腿の前面、後面、内側と肉離れをしたのであともう少しで大腿を1周します。(ここ、笑いどころです)
そして、つい先日(7月23日)大会中に着地で失敗し、腓腹筋の肉離れと前十字靭帯断裂、後十字靭帯の損傷をしました。かつて経験したことのないほどの大怪我です。(追記: 前脛骨筋の肉離れもしていることがわかりました。ウケる)
緊急入院となり、今は病室でこのブログを執筆しているところです。
Figure1 入院中の私
4年間という時間的制約のある学群での陸上生活において、学群3年のこの時期に前十字靭帯の断裂と後十字靭帯の損傷による複合靱帯損傷をしたことは、ゲームオーバーといったところでしょうか。今後の手術・リハビリ等がどれだけうまくいったとしても、4年次のインカレ出場が絶望的であることは間違いありません。多くの怪我を経験してきた私ですが、これまでは「次がある」と思って前向きにリハビリをしてきました。しかし今回はそうは行きません。今回初めて、ここで競技をやめてやろうかと考えました。(一瞬だけ、一瞬ね)結局、今すぐに辞めるという結論は出せず、今の私が考えていることは、「どのように自分を納得させて陸上競技を辞めるか」です。決して陸上を辞めたいと思っているわけではありません。今後のあらゆるシナリオを想定して、どのように辞めるかを考えています。言わば、自分の陸上競技人生の終活です。
そもそも私は学群の4年間で陸上競技を終えるつもりはありませんでした。進学を希望しているので、大学院に進んだ後も競技を続けることを想定し、自分のパフォーマンスのピークは今ではないと言い聞かせ続けてきました。「8m30・オリンピック出場」という自分の目標のために必要なピースを少しずつ埋めて、2028年までは競技を続けたいと考えていました。この3年間は怪我を繰り返しながらも、少しずつ歩みを進められているができている実感があり、受傷起点となった7月23日の大会に向けてのトレーニングでも確かな手応えがありました。
その大会当日の私の競技的状態は主観的にも客観的数値から見ても最高であり、これを足がかりに何か違う世界が見えてくるのではないかと期待が膨らんでいたところでした。自分の目標に向けて必要なピースは埋まりつつあったのだと思います。しかし、あまりに好調すぎて、練習で曝せていなかったほどの高いストレスに筋肉が追いつかずに踏切時に肉離れし、空中姿勢が取れず着地で失敗して靭帯を損傷しました。あの跳躍はこれまでで最も高く、遠くに跳べた跳躍だったと思います。砂場の縁、砂場の奥が見えるほどの滞空時間と高さは、私の望んだオリンピックや8m30の世界そのものだったのでしょう。あの日私に8mを超えるポテンシャルはあったのでしょうが、まだ跳ぶには早すぎたのだと思います。
「早すぎた」ということは!いつかは跳ぶことができるのだと思います。これから手術や長いリハビリになると思います。7月23日、私は靭帯を損傷し今後の見通しが立たないほどの大怪我を負いました。その一方で、あの日見ることができた景色は、自分の目標が達成可能であることを示してくれたのだと思います。だから私は、復帰がいつになるかわからない中でも、再び歩みを進めようと思います。現時点で、「どのように自分を納得させて陸上競技を辞めるか」という問いに対する私の答えは、「8m30・オリンピック出場して陸上競技をやめる」です。怪我をする前も、今も変わりません。どれだけ無謀なことを言っているかは重々承知しているつもりです。先行事例を見ればそんなことはほぼ不可能でしょうし、科学者を志す身としてこんな発言は控えるべきなのかもしれません。でも、やれるだけやってみようと思っています。
Figure2 受傷した跳躍
私は、科学を通して競技力を高めるために筑波大学に入学しました。木越先生からの指導も、科学的根拠に基づいたものです。木越先生は、「何かおかしいと思ったら科学で反論してこい」と言ってくれるので、いろんなディスカッションをしてくれました。本当に尊敬しているコーチであり、科学者です。木越先生は「時の運」という言葉を使うことがあります。もう一度言います、「時の運」です。自分の知る限り「運」は科学できません。今回の自分の怪我についても、「時の運」というか、「魔が差した」というか、予想も対処もしようのない出来事なのだったと思います。誰があの日、私の前十字が切れると予想できたでしょうか。(反語)木越先生のような科学者でさえ、「時の運」を信じているのであれば、きっとそうなのだろうと僕も納得することにしました。そのようなスピリチュアルな世界について私は全く詳しくありませんが、今回の私の大怪我は「時の運」ということにしておきます。
現時点で、私が競技復帰して「8m30・オリンピック出場して陸上競技をやめる」という未来を予想できる人はいないでしょう。私自身も現時点では想像が及びません。先行事例を見れば厳しいのはわかっています。でも、科学だけで説明がつかない世界もあると、今回知ることができました。これからも私は、科学的根拠に基づいてリハビリ・トレーニングを積み重ね、その一方では科学では説明のつかない「気合い!パッション!根性!パワー!(≠仕事率)」のような世界も頼りにしながら、8m30とオリンピック出場を叶えるべく邁進していきます。自分の力でなんとかできるところは全力でなんとかしようと取り組みつつ、今度はいい意味での「時の運」を待とうと思います。そして、必ず「8m30・オリンピック出場」という目標を達成して、納得して陸上競技を辞めます。
救急車で運ばれた時、つくばで診断を受けた時、膝が痛んで夜眠れなかった時、かつて経験のないほどの絶望感に襲われました。それでも現在こうして歩みを進められているのは、支え、励ましてくれた友達や家族、先生方のおかげです。この場を借りて感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。特に丸山壮くん、本当にありがとう。
Figure3 病院に面会に来てくれた丸山くん
受傷翌日、混成のアシスタントコーチであり体育・スポーツ史の先生である大林先生に、「まだまだこれから 先行事例にとらわれず、超回復からの8メートル中盤、本当に期待をしています。」という言葉をいただきました。体育・スポーツ史の専門家である大林先生の口から出る「先行事例にとらわれず」という言葉は非常に重みがあります。当時かなり滅入っていた私ですが、その言葉で火がつき、その翌朝には腕立てと片足スクワットを始めていました。今後は見通しも立たない長いリハビリの日々が続きますが、ここに記したことを胸に刻み、納得して競技を辞められるよう精一杯頑張ります。合言葉は「無理せず無理せよ」です。応援よろしくお願いします!
長々と書いてしまいすみませんでした。次は短距離障害ブロック3年の中垣内太智くんです。太智と僕は紛れもなく親友そのものでしょう。彼のことを語ると長くなりそうなので程々にしますが、皆さんが知らないことを一つだけ言うとすれば、彼は重度の焼肉アレルギーです。彼と焼肉に行ったあの日の苦労は忘れません…
昨年までは苦しい日々が続いていましたが、今年100mの自己ベストを更新するなどノリに乗っています。彼のことはたくさん知っているつもりですが、どんなことを書くのか楽しみです。皆様ご注目ください!
Figure4 入場規制で競技場に入れず、柵の外から場内を必死に覗く太智
柾木拓(まさき たく)
体育専門学群 3年
神奈川県/法政大学第二高校
跳躍混成ブロック/走幅跳
データバンク委員会