【十人桐色2025】#15「やがて、花は咲く」新巻美樹

初めまして。

新しく広報委員長になりました短距離障害ブロック3年新巻美樹と申します。簡単に自己紹介をさせていただきます。

専門種目は100m, 200mです。

生命環境学群生物資源学類に所属しています。12月から念願だった微生物系の野村研究室に配属されたことで、2年半の宙に浮いた大学生活に終止符を打ち、やっと地に足をつけて歩き出したような感覚です。ほっとした気持ちは束の間、ありがたいことに実験や論文発表で忙しい日々を送っています。

僭越ながら、このブログでは自分のターニングポイントと考え方について少し語れたらなと思います。

まずは、「なぜ、他の学群なのに陸上競技部に入ったか。」よく問われる質問です。端的に答えるならば、“陸上競技が好きで本格的に陸上競技を学んでみたかったから”です。

ご存じの方も多いと思いますが私は、1年生の6月に途中入部しました。きっかけは、受験の最終局面でなるようになれと思い切って受けた筑波大学の後期受験の面接です。面接で、大学で何がやりたいかと聞かれたときにパッと出てきた言葉が、「陸上競技部に入ってちゃんと陸上したい。速い人たちの中でもまれて自分がどこまでいけるか挑戦してみたい。」でした。自分でも反射的に出たその言葉に驚きましたが、初めて自分の本心を人に伝えられたような感覚でした。陸上で輝かしい成績もなく、受験勉強で中途半端に終わってしまった競技に対する未練や、孤独でしんどかった受験勉強で抑圧され無理やり隠していた気持ちがありました。

筑波大に合格後は競技部に入りたい気持ちはあったものの、周囲から大学は勉強するところだから、部活なんてやってられないよと反対された事、自分の実力がないことを理由に諦めていました。ですが同じ学類の太刀川慧の話を聞くたびにやっぱり陸上がしたいという自分の気持ちに嘘はつけないと思う気持ちが強くなりました。そして前々広報委員長である酒井さんの「入って絶対後悔しない」という言葉に背中を押され入部を決意しました。酒井さんにはすごく感謝しています。今思えば、この時から何か広報に縁があったのかもしれません。

入部してからは気持ちに実力が伴わず、自分がここにいていいのかと葛藤する日々でした。そんな中、今でも鮮明に覚えているのが大学1年生の時の全日本インカレの男子4継とマイルの優勝した瞬間です。両リレーの集団応援の中にいましたが、選手がゴールを駆け抜ける時には息を呑み、心が震えて涙が出ました。初めて陸上競技で感動を味わった瞬間でした。陸上競技部って素晴らしい、ここにいていいのかという不安が「ここにいたい」という気持ちにはっきり変わりました。

次に自分のターニングポイントとなったのは、大学2年生の時の関東インカレで選手をカメラ撮影しているときです。特に同期で主将である樋口にカメラを向けたときに、インカレで走る選手はかっこいいなと素直に憧れを抱きました。撮影を通して肌で感じた、選手の真剣な眼差し、緊張感は今でも覚えています。ここで撮影する側じゃなくて撮影される側に行きたいという思いが強くなりました。また、インカレで戦う選手と自分に自ら線引きをしていたんだなと気づき、インカレでの勝ち負けも他人事のように感じていたことに悔しさを覚えました。裏方として広報活動をしていなければ気づけなかったことがたくさんありました。

 自分の競技面はというと、膝の怪我を繰り返し、3週間以上練習を継続できない状況がずっと続いていました。ではなぜ、怪我を繰り返してしまうのか。それは自分で自分の間違いを認めたくなくて消してなかったことにしていたからです。これまで成績にこだわり優等生を演じてきた自分には完璧主義が染み付いたものとしてありました。間違えたことやできていないことをできていないと嘆き、焦ってなかったことにするのに必死でした。また、人と勝手に比較しては悲観的になり自分なんて、と思う悪循環にはまっていました。簡単に言うと、変数ではなく定数を変えようとしていたという事です。この考え方が自分自身を否定し、苦しめていることに気づいたのは恥ずかしながら今年の夏です。そのことに気づいてからは、膝の怪我から脱出し今年はPBを0.3秒更新し関東インカレの標準を切ることができました。今は、自分間違いや失敗を受け入れて、感じた悔しさ、苦しさを全部受け止めて、改善に努める。そこに嬉しさや幸せも全部ぎゅっと詰め込んで、何が起こってもドーンと構えてそんな時もあると笑い飛ばせるくらいの自分でありたいと思っています。

 私は今年人生初の全国大会でリレーメンバーに選んでいただき走ることができました。直前に調子がよくなっていたものの本番では早出してしまいました。アップ会場に入ると今まで動画で見ていた人たちがいっぱいいて、それに気を取られてしまい自分の事に集中しきれず、自分のテンポが速くなっていたからだと今では思います。この場所で勝負するには自分に気持ちの持ち方も、体つきも実力も足りないと思い知らされ、言葉にならない悔しさと不甲斐なさと、来年は絶対個人で走るという覚悟を決めた大会でした。

 私は特出した才能を持ち合わせてはいません。でも自分の持ち物を磨くコツコツとした努力ができる人だと思っています。私は今、研究と陸上競技という交わることのない2つの世界線を並行させて生きています。1つ共通するとしたら、仮説を立て検証し、その結果を考察する過程が楽しくてたまらないという事でしょうか。陸上競技だけに夢中になっている人とは異なるため簡単でないことはわかっていますが、その奥には葛藤や苦しみが伴う本気でやりたいことをやる自分なりのスタイルを追求し、その結果として1本でも2本でも勝てる瞬間が来るのならそれが至福であり、その瞬間を目指して自分の道を突き進めて行きたいと思います。私が腐らずやっていけるのは自分の中に明確な強いイメージが存在するからです。はたからみたら意味が解らないと思いますが、足は遅いながらも速く走れるようになっているイメージがあり、研究者としても賢くなっているイメージがあるのです。だから心が折れずに進んでいけます。

 

今年のおみくじで個人的な伏線が回収された話を少し。前回のブログの最後を参照してもらえればわかりますが、谷川先生の例えとおみくじの言葉がリンクしていたので。

おみくじの言葉を引用すると、遅いからといって焦り、退屈といって怠ることなく、迷わず、入念に物事を積み重ねていった先に 老木に花が咲くような大幸運がある。

らしいので花が咲くその瞬間まで、前に進むための決断や選択をした想いを忘れずに、日々感謝を忘れずに強くなるために努力していきます。

私の物語は以上となります。ここまで読んでいただきありがとうございました。

最後に、ブログで紡がれる1人1人のストーリーを知る、そしてそれが繋がるきかっけとなり輪が広がる、やがて大きなストーリーと化す。広報委員会では、そんなきっかけ作りができればいいなと考えております。今後も、広報委員会の活動にご注目ください!