【十人桐色2025】#14「大学陸上、カコ・ゲンザイ」深澤康太

お世話になっております中長距離ブロック3年の深澤康太です。新たにデータバンク委員会の委員長なりましたが、既に色々失敗して自分に萎えてます 

(委員長5人の写真、一番右の笑顔が硬いメガネが僕です)

おそらく、「深澤康太って誰」と思っている方も多いと思いますので、この場を借りて自己紹介となぜ陸上競技部に入ったのかについて話させていただきたいと思います。 

 

出身は静岡県富士宮市で、どこに行っても富士山が見える環境で育ちました。陸上競技を始めたのは中学校に上がってからですが、走ること自体は小さい頃から好きでした。陸上競技を始めたきっかけは、2013年の箱根駅伝における日体大の優勝を見たことです。このときは強烈に「箱根に出たい!日体大に行きたい!」と思っていたことを覚えています。

そこから紆余曲折あり、日体大ではなく筑波大の理工学群に、箱根ではなく中距離でインカレに出ることを目指して入学しました。ただ、中2から800m, 1500mをメインにしてトラックで結果を出したいと思うことの方が多かったですし、体育会系のがやがやした雰囲気は苦手だったので、なるべくして今に至っているとも感じます。 

 

大学で陸上を続けようと思ったきっかけはやはり、高3のインターハイです。僕は東海大会までなら出場できそうな選手ではあったのですが、県大会の決勝で6位以内に入れず東海大会に進むことができませんでした。高校では箱根をすっかり諦めて、陸上競技も高校までにしようかと思っていましたが、県での敗退を受けて「ここまでやってきた陸上をこんな結果で終わりにしていいのか」という思いが強くなりました。それが今の陸上の原動力にもなっています。

ただ、そこまで秀でた成績ではない自覚があったので、筑波大学の陸上競技部に入るときには「こんな成績の自分でも入っていいのか」と悩むこともありましたし、入ってからも名前を知っているような人がごろごろいて「とんでもないところに来てしまった」と怖気づくときもありました。それでも「どうにか自分の競技を一つ形にして終わらせたい」という気持ちでここまで競技を続けてきました。 

 

しかし、気づけばもうすぐ4年生になり、学群性としてインカレに臨むのも最後の年となります。目標の全日本インカレどころか関東インカレすら出ることができておらず、委員長にもなってしまいこの先の1年についてやや不安を感じるところですが、これまでの人生は何とかなってきたので何とかしたいと思います。 

委員長ブログなのに自己紹介だけで終わりそうなので、委員会についても触れたと思います。データバンク委員会は、筑波大で行われる競技会での記録の確認、公認申請、部報用の記録集の発行を主な仕事としています。それだけの内容の委員会なので、委員会として必要ないんじゃないかと思っている人も部内に一定数いるかと思います。それでも、責任があり、誰かが結局やらなきゃいけない仕事を受け持っているので、この委員会があってもいいのではないかと思っています。 

 

拙い文章でしたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。 

(中長距離ブロックの同期 )