【十人桐色2025】#30「さぁ、がんばろうぜ!俺たちの明日」佐藤なな

「足が流れる奴は愚か者だ。」

期待を胸に入部した4月。尊敬するブロック長に命名されたのは「愚か者」でした。

1年という時が流れ、思慮が浅いんだよ。と「思慮浅(しりょあさ)」に認定されました。

この度、執筆の機会をいただきました跳躍混成ブロック2年佐藤ななです。不安は大きいですが、愚か者による拙い文章をどうか温かい目で読んでいただければ幸いです。

私は大分県の大分豊府高校出身で専門種目は走幅跳です。小学1年生から100mを始め、今年で14年目になります。

「7日生まれだから‘なな’ちゃんなの?」人生で言われた言葉ランキング一位です。違います。

負けず嫌いですごく感情的で、ただのおしゃべり好きです。

幾度となく陸上をやめようと考えてきましたが、結局14年目になりました。

大好きなんです。高校3年間は、結果が出ないことが辛すぎるけど大好きで離れられない、激重メンヘラのような感じでした。

とにかく結果をだしたくて意味もない二部練、三部練、試合後の走り込み、一年間レストなしの練習をしてみたり。練習日誌を見返してみると、レスト日のメニューにメディボ投げ、流しと書いていました。病気ですかね。

練習量を増やすことでどうにか心を保ち、試合の度に6m跳べずにメンタルを削ってはまた無駄な練習を繰り返していました。結局、PBも実績も、高校2年から右肩下がり。この頃は努力不足なんだと思っていましたが、単に思慮浅だっただけですね。

陸上部のない中学で一人で練習を続け、高校では走幅跳専門の指導者がおらず、といった環境で、ここまで私が陸上を続けてこれた理由は大分県の先生方の存在にありました。

中2で国体強化選手に選んでいただいて以降、他校の部活への参加、一人で向かったインターハイでのサポート、他県から指導者を招き入れ大勢での指導等。大学でまた陸上に向き合おうと決心したのもその存在に支えられたおかげでした。どうしても結果で恩返しがしたい、喜ぶ顔がみたい

その一心で夢中で頑張っていました。

楽しそうな私♪♪

そして筑波大学に入り、椎間板ヘルニア発症からの長いスランプに陥りました。

昨年の全カレ選考会でも学内4位。初めて出場すらできない現実を、随分長い間受け入れることも出来ませんでした。

自分が立てると思っていたピットを見て涙を堪え、心底陸上をやめてしまいたいと思いました。もう一生ここに立てないならと、本気で一か月悩みました。仲間が活躍しているのを見て、出場したのが自分ではなくて良かったとさえ思いました。それ程私の気持ちを動かす出来事でした。

同時に早く跳びたいと涙を流し、出場しなかった今年の全カレ選考会にも当日エントリーしようとひそかに思っていました。

そして今年の日本インカレをみて、来年は本気でここで勝つと決意しました。去年の関東インカレで見た景色が忘れられず、もう1度戦わせて欲しいと思いました。

これまでは全面から愚か者だった私ですが、大学に入ってようやく陸上の本質について少しは考えられるようになってきました。なんで勝てないんだろう、跳べないんだろう。「こんなに頑張ってるのに」と誰よりも思考し、頑張っているつもりでした。

いつしか頑張って沢山練習する」「本数を多くする」「練習時間を長くする」と本質とは離れていっていた気がします。

それではダメだと気付いたことが思慮浅脱却の第1歩だと信じています。

ここで多く学んだことはそうではありませんでしたが、結局最後は陸上が大好きでガッツのある人が勝ち抜いているような気もします。悩んでいる暇はなく、ただただ貪欲に勝ちにこだわっていきたいと思います。

それから、1人で戦ってきた時期が長かったこともあり、対抗戦や筑大競での声援は本当に力になります。一緒に戦う仲間がいることもすごく嬉しいです。

最後になりますが、大きなプレッシャーとプライドとともに桐の葉を背負いながら努力を惜しまない皆さんの姿からは勇気を貰い、共に闘う同期には何度も助けられています。いつもありがとう。

同期が大好きな私♪

そんなみなさんと頑張っている私にエールを送ります。

さあがんばろうぜ!

負けるなよ そうさ オマエがいつかくれた優しさが今でも宝物

でっかく生きようぜ!

誓った遠いあの空 忘れないぜ そうさ 今でも同じ星を見ている

ここにきてよかったと心の底から思っています。

頑張りましょう。でっかく生きましょう。

私の拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

さぁがんばろうぜ!