【十人桐色2026】#20「きっかけ」塚田萌成

男子長距離ブロック6年の塚田萌成です。

おそらく私のことをご存知ない方も多いとは思いますが、競技場やループをよく走っているので、顔くらいは知っている人はいるかもしれません。まさか執筆の機会をいただくとは思っておらず、文章を書くことが苦手な私には大変荷が重いのですが、どうか温かい目で読んでいただけますと幸いです。

医師国家試験も終わり、久しぶりに大学の図書館を訪れると、見知った医学の同期の姿もなく、本当にもう卒業を迎えるのかとしみじみ感じます。入学の時、6年間と聞くとずいぶん長い道のりのように感じていましたが、終わってみればあっという間の6年間でした。そう感じるのは、私が充実した6年を過ごすことができた証なのかもしれません。

そうした時間を過ごすことができたのも、箱根駅伝の存在が大きいと思います。私が筑波大学で医学陸上競技部ではなく全学の陸上競技部に入ろうと思ったきっかけ、それは間違いなく2020年における筑波大学の26年ぶりの箱根駅伝出場でしょう。当時医学生であった川瀬歩夢さんが9区を出走したという事実は、私が全学陸上競技部に入部し箱根駅伝を目指すという道筋を大きく後押ししてくれました。

私にとって大きな転換点は4年の箱根駅伝予選会でした(1〜3年は苦労話も多いので省略します)。結果としてチーム総合20位で惨敗を喫し本戦出場を果たすことはできませんでした。ただ私自身は練習の出来や調整段階、レース内容を通してこれ以上ないくらいの走りができ、4年間やり切った感覚が強かったと思います。また4年生の同期達が引退していく中で、このまま4年間で陸上生活を終えてもいいのではないかと考えていました。しかし箱根駅伝の未練を断ち切ることはできず、もう一年箱根駅伝を目指すことを決めました。

↑4年次の箱根駅伝予選会は総合20位

そんな5年生での箱根駅伝挑戦は、様々なことに思い悩んだ一年でした。自らの競技力や病院実習との両立、チーム内での立ち居振る舞いなど常に何かに悩んでいる状況が続きました。1番難しかったのは、自らのモチベーションと練習量のバランスでした。4年次に一度燃え尽きた中、去年ほどの熱量で練習に取り組めていない感覚が常にありました。それでも、練習量は確保しようと実習が忙しい中でも月800〜900kmほどは走り続けていました。無理を抱えたまま練習を続けた結果、箱根駅伝予選会4週間前に発熱し、予選会前の10000mを出走できませんでした。その後なかなか調子は上がらず、最後のポイント練習でも思うような感覚で走ることはできませんでした。

そんな状況下での周りからの期待は、逆に私の心を苦しめました。「明らかに調子が上がってきていない」「大丈夫ではない」、それが自分でも分かっている。にもかかわらず周りは私なら「大丈夫」「本番ははずさない」、そう口にする。ありがたいことだと思ってもその言葉は、どんな状況でも「大丈夫」であり続けなければならない、そう私を縛り付ける言葉のようでした。

そんな私を救ってくれたのは、同期の存在でした。思うような練習ができず自暴自棄になりかける私に、彼は「大丈夫」とは一言も口にしませんでした。最後までどうするのが最善か一緒に考えてくれました。残念ながら予選会突破とはなりませんでしたが、彼のおかげもあって4年生の時の個人順位を超える悔いのない走りをすることができました。

↑5年次の予選会は気温が高くタフなコンディションだった

26年ぶりとなる筑波大学の箱根駅伝本戦出場、初の医学生箱根ランナーの誕生、良き先輩・同期との出会い、そして苦しい時に寄り添ってくれた存在——。選択するのは自分であっても、こうした出来事は確実に私の人生を変えてくれました。きっと6年前、ただ医学部を目指し受験生活を送っていた自分からしたら、想像もできないような6年を過ごしているかもしれません。それくらい充実した日々でした。

↑給水係として箱根路を走ることができた

↑医学生ランナーとして苦楽を共にした同期・後輩

ここまで書いてきましたが、自分で読み直すと下手な文章だなと思います。国試の結果への不安が筆に出ているのかもしれません。読みにくかったとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

様々な出来事が私の人生を変えてくれたように、この文章が誰かの人生を変えるきっかけになれば幸いです。

最後に、6年間指導していただいたコーチの方々、先輩、同期、後輩には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

来年1月2、3日、後輩達が箱根の歴史に新たな一ページを刻むことを願っています。

塚田 萌成