跳躍混成ブロック大井悠から紹介を受けました、投擲ブロック4年の平岩志萌です。
私たちの学年はコロナとともに大学に入学しました。春学期が終わるまでつくばに来ることができなかったため、当然投擲ブロック以外の友達もいませんでした。そんな中初めてできた他ブロックの友達がはるかです。私が名古屋出身だと聞くと「エビふりゃー」と今どき誰も使っていない名古屋弁で話しかけきたことを、はるかは覚えているでしょうか。(笑)
はるか、関甲信は絶対に負けません。ですが、はるかの最初で最後であろうハンマー投を誰よりも楽しみにしています!頑張ろう!!
(前回担当、大井のブログはこちら)
さて、いざ自分が執筆する番になり何を書こうかかなり悩みましたが、これまでの執筆者のように、誰かの心に刺さるような言葉が紡ぎだせる自信がありません。ですので、大学4年間で感じたことを素直につづりたいと思います。
大学4年間のうち3年半ほど過ぎた今、私が感じることは「自分は幸せだな」ということです。この幸せは誰かと比べて幸せということでは決してありません。
中学・高校・大学といういわゆる青春といわれる時間に、こんなにも夢中になれるものに出会えたからです。
はじめから投擲がやりたかったわけではありません。むしろ陸上を始めたばかりのころは絶対に投擲だけはやりたくなくて(両親とも投擲選手でだったため、同じことをやるのが嫌でした(笑))幅跳びやハードルの選手になりたかったんです。練習しても全然脚は速くならなくて(笑) 遺伝の力を借りたら、一回くらい賞状もらえるんじゃない?くらいのかる~い気持ちで始めました(笑) ですが今でも初めて砲丸を投げたときのことを覚えているくらい心を奪われたことを鮮明に記憶しています。何にどう心を奪われたのか言葉で説明するのは難しいですが、ビビッときたんですよね笑 一目惚れのような感じでしょうか?笑
それからというものの、部活がオフであろうと近くの多目的グラウンドで父と砲丸を投げたり、実家の駐車場でフォームを分析したりと、友達と遊ぶよりはるかに砲丸と遊ぶ時間の方が長かったと思います。でも一度も苦痛に感じたことはありませんでした。ただ楽しい!というよりは、もっと記録を伸ばしたい、上の大会で戦いたいという気持ちがほとんどだったと思います。この気持ちに拍車がかかり、高校選択は自分が一番日本で戦えそうな種目が練習できる環境のみにスポットを当てました。その中で身長が大きくなくても、生まれ持った爆発的なパワーがなくても、練習量と技術がものをいう(と言われた)ハンマー投ができる高校を選びました。いざ入学してみると、部活の時間が思ったより長くなく、ライバルとの差を埋めるには朝練が必要だと感じ、高校3年間、毎朝4時起きで朝練をしました。しかし、目標としていたインターハイでの入賞ラインの記録を持ちながら、東海大会にも出られず...。人間本当にショックだと涙も出ないんだとどこか他人事のように、現実を受け入れられませんでした。「大学こそは、結果を残したい」その想いだけで、筑波大学に入学しました。
冒頭で「夢中になれるものに出会えたことが幸せ」だとつづりましたが、これは結果論でしかありません。夢中の中にいるときは自覚がなくて当たり前です。まして、うまくいっていない期間ならなおさらです。「夢中」かどうかはうまくいかなかったときにこそ現れるのかもしれません。
(サークルでショックを受ける平岩 関東インカレ2023 記録なし)
引退まで3か月をきった今、自分のたった10年の陸上人生を振り返ると、圧倒的にうまくいかなかったことや、悔しい思いをしたことの方が多かったのに、あの時があったから今があると美化してしまうのは、夢中だったからではないでしょうか。陸上なんて、ハンマー投なんてしなくても生きていけます。私がどんな記録を投げようと、誰も困りませんし、なんの影響もありません。人生の夏休みといわれる大学生活において、経験したことや、思い出に(私は特に)偏りがあることも十分わかっています。それでも、自由な時間が山ほどある今だからこそ陸上が、ハンマー投がやりたかった。思いっきり練習ができる環境で、思いっきり練習ができたこの4年間は、本当に幸せな4年間だったと思います。
「夢中になる」ことができたのは、ただ単に自分と投擲種目の相性が良かったからではありません。自分が夢中になる環境があってこそだと思います。環境といっても練習環境などの物理的なものではありません。一緒に夢中になってくれたお父さん、見守ってくれたお母さん、周りの友達のようにお出かけしたかったと思うのに、毎週末文句ひとつ言わず試合を見に来てくれた妹たち、常にバチバチしながら練習してきたライバル兼親友、私の夢中を育ててくれた歴代の恩師の方々、憧れの先輩、言葉では伝えなくてもお互いの頑張りが励みになっている同期・先輩・後輩たちなどなどなどなど、挙げだしたらきりがありません。ここまで夢中になれたのは間違いなく人的環境に恵まれたからです。
このような人的環境に恵まれたことも、私が幸せな理由の一つです。(写真)
試合後妹たちと(4人姉妹なんです(笑))
投擲同期女子でパシャリ 2022日本インカレ
先日行われた選考会で、日本インカレの選手に選考していただきました。
今年で引退する私にとって最後の青桐、最後のインカレです。
ここまで陸上に、投擲種目に夢中になれたことへの幸せをかみしめながら、最後のインカレを全力で戦い抜きたいと思います。
支離滅裂な文章でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。自分では結構気に入っています(笑)広報委員長をはじめ、この企画に携わっている皆さん、ありがとうございました。
次回は澁谷侃です。医学群に所属するハイジャンパーなおし、今年はデータバンク委員長として部員の記録を管理する、記録と記憶のスペシャリストです。関東インカレのエントリーの際には、私の人生初の徹夜に付き添ってくれた徹夜メイトの1人でもあります。
授業に部活に多忙を極める彼は何を語ってくれるのでしょうか…?
侃!よろしくねー!!
平岩志萌(ひらいわ しほ)
体育専門学群 4年
愛知県/旭野高校
投擲ブロック/ハンマー投
トレーナー委員会
運営執行部
2022-23年度主事