【リレーブログ】#27 『挑戦者』山田那央

皆さんこんにちは!航平さんから紹介していただきました、短距離障害ブロック1年の山田那央です。

 航平さんには、同じ400mHを専門としていることもあって、とても仲良くしてもらっています。普段は、とても優しい航平さんを生意気にもイジることが多いです笑 しかし、航平さんが筑波にいたことは僕が高校生の時に筑波に来たいと思った大きなきっかけのひとつで、今も尊敬して憧れていることは、ここだけの話にしておきます。

(前回担当、菅野のブログはこちら

 

 さて、今回リレーブログを書かせていただくにあたって、どんなことを書けばいいのか、正直とても悩みました。そこで、僕にしか書けない内容は何かと考えたとき、まだ記憶が鮮明な大学受験の頃のことを少し書こうかなと思いました。

 いきなりですが、僕は筑波大学に来ることを少し躊躇していた時期があります。それは、インターハイが終わってまもなくの頃です。ちょうどその頃、インターハイでハードル二冠した紺野稜真が、筑波に推薦で行くという話を耳にしました。同じハードル種目に取り組む僕も、筑波に推薦で行きたいと思っていましたが、その道を断たれたことを意味しました。筑波に来るために残された道は一般入試のみ。しかし、僕は高校ラストシーズンは、10月の国体まで競技に全力を注ぐと決めていました。つまり、一般入試を受けるとすれば、本格的に受験勉強を始められるのは共通テストの3ヶ月前。そんな短期間で共通テストを仕上げる自信はありませんでした。それに、仮に筑波に合格したとして、同期に稜真のような強者がいることにも正直ビビっていました。高校までチームの先頭を走り続けた僕が、自分より圧倒的に強い選手と同じチームで、選手としてうまくやっていけるイメージが掴めなかったのです。

(左:紺野 中央:山田)

 しかし、その悩みを解決してくれたのは僕の高校時代、陸上競技部の顧問をしていた先生でした。ある日、朝早くにその先生のところに行って悩んでいることを相談すると、それから1時間ほど筑波を受験することも筑波に合格してからのことも「お前なら大丈夫だ」と言い聞かせ続けてくれました。そういえば、先生が3年間何度も言っていた言葉は「下剋上」でした。そんなことをきっかけに、僕は「挑戦者」として筑波を受験することを決心しました。そして、筑波に行くなら稜真を超えて日本一になってやると心に誓いました。だから、今でもその先生には本当に感謝しています。

 僕の受験期の話は、このあたりで終わっておきます。あとは、勉強と実技試験のための練習に全力で取り組んだという、受験生にありきたりな話になってしまうので。結局何が言いたいんだという感じですね笑 要するに、大学受験のときに学んで、今でも僕を支えているのは「挑戦者」の精神です。大学生になって、筑波に来て、陸上競技で誰かに勝つということが格段に難しくなりました。でも、今はそれがむしろ楽しい。だって、何をするにしても、逆転劇があるから面白いと思うからです。もちろん、格上の選手に挑むことは少し怖いです。でも、それ以上に勝っても負けても彼らから多くのことを吸収して、自分が確実に成長していると感じられる今がとても楽しいです。そうやって今は「挑戦者」であることを楽しみながら、いつか大逆転劇を経て、日本一になれるように頑張っています。

 とりあえず、僕のリレーブログはここで終わりにしたいと思います。大した内容でもないし、まとまりのない下手な文章ですが、ここまで読んでくださりありがとうございます。

 次回は、同じ短距離障害ブロック1年の前田光希さんです。大学初戦の学生個人選手権では、専門の100mHでいきなりPB更新&7位入賞の結果を残し、大学でも自身の実力が通用することを証明しました。しかし、普段は笑顔が絶えない明るい性格の持ち主で、競技に取り組む時とのギャップにいつも驚かされます。そんな彼女は、普段どのようなことを考えているのか。彼女のリレーブログ、とても楽しみです!

山田那央(やまだ なお

【個人ページはこちらから】

体育専門学群 1年

兵庫県/小野高校

短距離障害ブロック/400mH

データバンク委員会