チュクネレジョエル優人君からバトンを受け取りました跳躍混成ブロック棒高跳パート1年、村田蒼空です。
彼の活躍はすでにご存知の方も多いと思いますが、ミラモン出演経験者でもある走高跳界のスーパースターです。競技のみならず幾つものセンス(笑いのセンスにかけてはピカイチ)を持つ彼の周りはいつも笑いで溢れています。さらに併せ持つのはモデル並みのフォルム。一際目立つ腰の高さと高身長。抜群のスタイルを持つ彼に是非一度話しかけてみてください。ひと笑いさせてくれること間違いなしです。
(3月の高知合宿にて初顔合わせ)
(前回担当、チュクネレジョエルのブログはこちら)
まずは、このような貴重な執筆の機会をいただきありがとうございます。偉大なる先輩方の知られざる姿や心の内、陸上への熱い思い、深いメッセージが込められたこのリレーブログによって夢への近道を知れた気がしています。全てのブログに散りばめられた言葉のひとつひとつが今のぬるい私にグサグサ刺さります。
自分に何が書けるのか迷いましたが、まだ経験も浅く先輩方のように深いことは語れないので、自分の棒高人生を振り返りながら、筑波を選んだ理由でも綴っていこうと思います。
棒高跳という競技を始めて今年で10年目。棒高跳界では芸歴だけはベテランの域となりました。10歳で棒高跳なんて出来るのか?おてんば盛りの子供があんな長い棒を持って走り、高いバーを跳び越える。想像するだけで危ないし、怖いです。
(純粋に楽しんでいる小学4年生)
どのくらいの高さを跳ぶのでしょうか。
始めて1年でPBは2m00でした。この記録自体ズバ抜けて将来性を感じる高さでもありません。
私が育ててもらった『ベルアスレチックジャパン』という棒高跳専門の施設は一流選手が世代問わず練習を重ねる場所です。なぜかそこにいるだけで面白いぐらいどんどん跳べるようになりました。遊び盛りの小学校高学年時代3年間も土日、夏休み、学校が休みの日はほとんど『ベル』で過ごしました。仲間と競い合いながらどんどん記録が伸びて行く、毎週記録更新するそんなイメージです。ベルに行くことが楽しくて仕方なかったですね。思い返すとこの10年棒高跳に捧げた青春時代だったなぁと、しみじみ思います。棒高跳と出会ってからは棒高跳一筋ですが、幼少期は身体を動かすことが趣味な私に両親祖父母が耐えきれず、3歳からスイミング、サッカー、チアダンス、日本舞踊、陸上、家で過ごす時間がほぼ無いようなスケジュールでした。こうしてスポーツに明け暮れた幼少期から着実に負けず嫌いで勝ち気な自分に磨きがかかっていったのだと思われます。ちなみに私は3姉弟の真ん中です。
家族の負担も大変だったと思います。小さい頃からたくさんの経験をさせてくれてありがとう。
(なでしこ村田とチアダンサー村田)
高1で日本選手権入賞、高2でインターハイ優勝、高3になり高校新記録樹立、u20日本記録樹立。まさに夢に向かって目標を一つ一つ達成し、描いた夢は自分の努力によって全部叶うんだと信じて疑いませんでした。
連覇のかかった高3最後のインターハイ。死に物狂いで積んだ努力は報われることなく、あっけなく散りました。信じてきたもの全てが崩れた瞬間でした。二連覇を掲げて死ぬほど努力し、精神的にも身体的にも自信がありました。負ける気なんてしなかった。報われない努力があることを知りました。
高校卒業後、今まで育ててもらったコーチや支えてくれる家族のもと恵まれた環境で競技を続ける選択もできました。その方がもしかしたら記録は順調に伸びていったのかもしれません。
ただ、夢を叶えるためにはいったん全部の甘えを捨てて、恵まれた環境を離れ、心も身体も鍛え直す必要があると感じました。
もっと強くなるために、筑波に来ました。誰も想像できないくらい化けるために筑波に来ました。
入学と同時に環境が変わり、ある程度予想はしていたもののリズムが掴めず春からの重要な大会も全て結果を逃しました。カッコ悪い自分に心底失望するシーズンでした。それでも心は折れていません。
必ず成し遂げる。
こう強く思えるにはもちろん理由があります。
皆それぞれに悩みを抱え、大きな怪我や挫折に苦しみながらも決して諦めず、決して腐らず、意地やプライドにしがみ付き、もがき苦しみながら自身の夢を掴み取るストーリーが目の前に広がっているからです。
筑波は表舞台で輝かしい成績を残すアスリートたちの裏側が見れる場所です。常にトップで走り続けているように見えても必ず乗り越えてきたものがあります。己と向き合い己と戦う姿は本当にシビれます。自分を突き動かす原動力となります。
これが私が筑波を選んだ理由です。
ずっと見ることが出来なかった動画をやっと最近1年越しに目にしました。自分の大会の跳躍動画です。目標を持って棒高跳という競技に励むようになってからは練習や試合のあと毎回必ず動画を見返し、状態や課題の確認をしていました。しかしあの惨敗のインターハイの動画だけはどうしても見ることができませんでした。これが私の弱さです。1年経ってようやく目にできたのは、筑波の力だと思っています。同じように悩み苦しみ抜いた先輩方や仲間に出会えたからです。結果という形で報われなかった努力と引き換えに大きな気づきをもらえました。次々襲われた怪我やいくつもの小さな挫折も不運ではなく、強くなるために必然な試練だったと胸を張って言えるように、ここ筑波で必ず強くなって、夢を叶えます。
拙い文章でしたが、最後まで決意表明にお付き合いいただき、ありがとうございました。
(大好きな棒高パート)
次回私がバトンを渡すのは、筑波生活のほとんどを共にしていると言っても過言ではない相方、秦くるみです。彼女とは、出会ってまだ半年ですが体感的に3年は超えている気がします。そんな彼女は部内でも群を抜くコミュカお化け。とにかくずば抜けたコミュカを武器にパーソナルスペースに入り込んでいけます。その愛嬌と人懐っこさで心を掴まれた人は多いでしょう。
競技でも応援する者の心を掴み、なんと一年目の日本インカレでベストを出し3位入賞!メンタルも化け物です。種目は違えど、目指すとこは同じ、4年間バチバチいこうね!
常にテンションMAX、多くの人を虜にする彼女が何を語るのか乞うご期待!!!
(全日本インカレ)
村田蒼空(むらた そら)
体育専門学群 1年
群馬県/前橋女子高校
跳躍混成ブロック/棒高跳
ユニフォーム委員会