吉川崚からバトンをもらいました池田成諒です。
吉川とは、入学後から共通の志があったことで意気投合し、人生や競技について熱く語り合うこともありました。
また、彼の継続性、これは競技に限らず学問においても優秀で尊敬しています。
私が多くを語らずとも結果で示してくれると思いますので、来シーズンの日本選手権を楽しみに待ちましょう。
(前回担当、吉川のブログはこちら)
本題前に自己紹介を兼ねて
「何が見えていて、何を考えて陸上をしているのか(吉川の紹介文から)」について軽く触れます。
私は、5〜10歳までレスリング競技に励み、全国優勝などを経験した末に、タレント発掘によって陸上競技に転向しました。すなわち、最強スプリンターとして認知していただけると幸いです(アイデンティティ)。
常に勝つことを追求してきた背景から、見えていること、考えていることは非常にシンプルで“勝つためには、何をすべきか”ということです。
では、本題へ。
今回はタイトルの通り「私が大学で失敗した理由」について記します。
一般的に世に出るものは成功談が多く、反対に敗者や失敗談にスポットライトが当たることは少なく思います。
しかしながら、どのような世界においても成功者はひと握りに過ぎず、大半の人が失敗し、挫折し、その道を外れることが現実です。
そのような背景から、私が望むような結果を得られなかった原因を追求しコラムとして残すことが重要ではないかと考えました。
(※現時点では)
手短にまとめようと思いますので、早速本題に移ります。
私が大学で勝てなかった原因としては「本質を見失ったこと」が考えられます。
端的に説明すると“頑張ることが目的”となっていた、ということです。
苦しい練習を頑張ることが目的となり、本来の目的である、”100mのパフォーマンスを高める”という本質から逸れたトレーニングを行っていた時期がありました。
振り返ると、結果が出ずに苦しい局面において更に苦痛を求め「苦しいことをこんなにも頑張っている、血の滲むような練習をしているから結果はでる」など。その様な自分に依存していたと感じます。
また、結果を出すためには、しんどい練習を乗り越えなければならない。楽をしては強くなれない。といった一種の固定概念が潜在的にあったのかもしれません。
(谷川先生からは、練習せずに強くなることが一番である、とご指導いただきました。何でもかんでも頑張ると、どうやって強くなったのかわからなくなるとも)
しかしながら、それらは、頑張っている”つもり“、やっている”つもり“に過ぎません。
冬季でどんなに走ろうとも、それがレースでの技術に繋がらない場合、当然ながら成果は出ません。
競技部のように大所帯に所属している場合は、案外、その矛盾を見過ごしてしまうとも感じています。
提示されたメニューを消化すると来年は強くなっているだろう。もしくは、強くなるためにハードな練習をしたい。などの思考は“それ”かもしれません。
その悪循環から抜け出すためには、苦しむための練習、頑張っている“つもり”の練習をやめ、合目的的にトレーニングを選択することことが重要であること。
すなわち、「如何なる時も本質を見失わない」ことが望む結果を得るためには必要だと感じています。
字数の制限があるため、ここで終わりにします。
次は、大洋にバトンを繋ぎます。
彼は主事として真面目にチームを支えてきましたが、それに隠された破天荒さやユーモアは人を魅了します。
きっと、非常に面白いコラムが搭載されると思いますので、楽しみに待っています。
では、よろしく。
池田成諒(いけだ せいりょう)
体育専門学群 4年
長崎県/島原高校
短距離障害ブロック/100m・200m
ユニフォーム委員会(23年度委員長)