【十人桐色2024】#14「医学生が4年間陸上を続けてみた」木佐亮太

皆さんこんにちは。中長距離ブロック4年の木佐亮太です。所属は医学群医学類、専門は800m、出身は島根県出雲市です。

 

「十人桐色」っていい名前ですよね。十人十色、いろんな人がいる筑波大学陸上競技部をよく表しています。僕はこう見えて広報委員長もやっているのですが、ぜひこの名前で皆さんのことを発信したいと思い、今年もいろんな人に書いてもらいました(実際ほぼ古澤にやってもらってたけど)。受験生時代、十人桐色を貪り読んで勉強のモチベーションにしていたことを思い出します。僕も誰かのモチベーションになる文章を書きたいものです。

 

さて、僕の大学陸上は、高校時代から始まったと言っていいでしょう。

 

高校3年生だった2020年初頭、新型コロナウイルスの流行により、インターハイをはじめとするほぼ全ての大会が中止となりました。3年間インターハイに向けて練習を積んできた結果、自分の力を試すことすらできずに高校陸上は終わりました。

 

大学では高校の雪辱を果たそうと意気揚々と入学しましたが、結果はついてきませんでした。日本インカレ・関東インカレでは準決勝にすら1度も進めないまま、あっという間に最初の3年間は過ぎていきました。

 

最初の方こそ自分も頑張ってインカレで戦うんだ、と思っていましたが、周りが結果を出す中で、自分は結果を出せないまま時間ばかり過ぎるうちに、だんだん早く引退したい、早く楽になりたい、という気持ちが先行していきました。

 

満を持して臨んだ昨年、3年時の日本インカレでは、中長距離ブロックから出場した選手のうち僕だけが予選落ちでした。他全員が準決勝、決勝で堂々と戦う姿を応援席で眺めながら、自分が何を目指しているのかよくわからなくなっていきました。

(この次々と抜かれていく絶望感ももはや慣れつつあった)

 

あの日本インカレを境に、僕の中での陸上競技が「自分の伸びを信じて頑張るもの」から「ただ辛いもの」に完全に変わりました。「自分は本番で走れない」「そもそも実力がない」という現実に押し潰されそうになりながら、3年生のシーズンが終わりました。

 

そして冬季練習を迎えることになりましたが、僕は内心ほぼ諦めていました。努力したところでどうせ本番では走れない、そもそも実力もない、何のために医学科で勉強しながら陸上をしているのかもわからないまま、惰性で練習を続けていました。

 

そんな中、いわば防衛機制のように、考えることを放棄しました。来年のインカレでどう戦うか、どんな結果で終わるのか、そんなことを考えると息が詰まりそうになり、逃げるような形で思考が勝手に止まりました。

 

すると不思議なことに、「インカレで勝負する」ことを考えずとも、競技力を高めるためにはどうすればよいかを考え出す自分がいることに気づきました。

 

インカレで勝つためではなく、ただ自分が速くなるために、黙々と考え、黙々と走り、黙々とウェイトを上げ、冬が過ぎていきました。

 

未来の自分が見えなかったら見ようとしなくていいのです。目の前のことを淡々とやって、「何も考えずにできる限り考える」状態でも、結果はなるようになります。

 

受験生時代もそうでした。高校3年間を通して、国立大の医学科に受かる未来などこれっぽっちも見えませんでした。それでも、そんな見えない未来など気にせず、目の前のことを淡々とこなし、ただ自分の成績が3年生の冬にピークを迎えることだけを考え、スレスレで筑波大学の医学科に滑り込みました。

 

そして冬が明け4年生になり、800mで日本学生個人選手権6位、オールスターナイト陸上で優勝、島根県記録更新、と去年に比べればいくらか成長することができました。余計な思考をやめ、淡々と自分に足りないものを考え、淡々と練習してきたからかな、と思います。

(大学初タイトル、初グランプリ入賞のオールスターナイト陸上)

一方、最大の目標であった日本インカレでは、0.4秒差、準決のタイム順だと全体10位で決勝を逃しました。昨年と比べ成長はしましたが、実力は及ばずに終わりました。結局のところ、4年生のシーズンは自分にとって失敗といえます。最後の最後で目標を達成できず、悔しさも心残りもあります。やり切った感もありません。

 

同時に、本気で日本インカレの決勝を目指せた今シーズンは幸せでした。この4年間、何度もあきらめかけ、何度も投げ出したくなり、内心、本気で全国の舞台で戦える選手になれる未来が見えませんでした。それでも何とか陸上を続け、やれることはやってきた気はします。日本トップの舞台を垣間見ることができただけでも、得るものはありました。

 

世の中、結果が出ずに苦労した状態から努力して結果が出せた、という美談が取り沙汰されますが、現実はそんなに甘くありません。自分が納得する結果を残して引退できる選手なんて、ほんの一握りでしょう。

それでも、自分を高めようと努力することこそがスポーツの価値だと僕は思います。時に涙し、時に笑い、我を忘れて熱狂できる、そんなスポーツの世界を、医者として守ることができれば本望です。

同期のみんなありがとう。