【十人桐色2025】#26 「思考と理解を探求する」山口櫂

みなさんこんにちは。跳躍混成ブロック3年の山口櫂と申します。

この度、僭越ながらこの「十人桐色」を執筆させていただくこととなりました。偉そうにものを語れる立場ではないですが、等身大の文章をみなさんにお届けできればと思っております。

少しの間お付き合いいただければ幸いです。

※高校時代の山口

まずは簡単に自己紹介させていただきます。

名前は山口櫂(やまぐちかい)、専門種目は走幅跳です。出身は、群馬県の高崎高校という男子校です。これといった趣味みたいなものはないですが、暇な時は気の赴くままに本を読み、多くの人にとってはどうでもいいようなことを延々と考え続けているような人間です。

ちなみに体育・スポーツ哲学研究室所属です。近しい人には哲学研ぽいとやけに納得されますが、そんなに堅苦しい人間ではないので敬遠しないでいただけると嬉しいです。

さて、自己紹介はここら辺にして本題に入ります。ここからは、「自分が何を考え、何を大事にして陸上競技に取り組んでいるのか」というありきたりなテーマでお話をしてみたいと思います。退屈な文章になってしまったらすみません。

自分が陸上競技と向き合う上で大切にしていること、それは「思考・理解を完了させないこと」です。これだけでは抽象的なので、もう少し具体的にお話ししていきます。

まず「思考を完了させない」というのは、「考えることをやめない」ということです。

これが大事というのはすごくありきたりな主張で当たり前のように思えますが、果たして自分はできているのか、一考の余地があると思います。自分が考えてやっていると思っていても、それは実際何も考えられていない、ということは結構あり得る話なんじゃないでしょうか。

思考がストップすることは、思考パターンを保守的にすることにつながります。保守的な思考は、過去の自分を超えなければいけない陸上競技においては多くの場合避けるべきだと思います。日々トレーニングを積んでいく上で、その方法や考え方を批判的に評価し、具体性のレベルを高め続ける作業が非常に重要な気がしています。

次に「理解を完了させないこと」、これも「思考を完了させないこと」と全く別の話ではもちろんありません。換言すれば、「分かった気にならないこと」とも言えます。

これは、跳躍ブロックの先輩である柾木拓さんがよくおっしゃっていることで、それを聞いてから自分も注意しようと思うようになりました。(いつもお世話になってます。)人間理解した気になると、それ以上学び考えようとしません。ある物事について完全に「分かった」状態になることは基本的にあり得ないので、理解を深める作業は恒久的に続けることができるものです。

ソクラテスの「無知の知」の話は知っている方も多いかと思いますが、まさにあれです。分かっていないこと、正確には、それなりには分かっていても究極的には分かりきっていないこと、これを自覚することは結構重要だと思います。

ここまで「思考・理解を完了させない」ということについてお話をさせてもらいましたが、自分自身、この競技部に入部してから色々な人と関わる中で、自分の思考の浅薄さに気付かされてばかりです。これだけ多くの人数が在籍し、それぞれが多様なバックグラウンドを持つ組織はそう多くないと思います。多くの人とコミュニケーションをとり、トレーニングの文脈や考え方を共有することは、思考や理解を深める一助になるはずです。

ここまで偉そうに色々と語らせてもらいましたが、自分自身は大した競技力を持ち合わせていません。ですので、この文章に説得力を持たせることができるよう、日々思考することを諦めず、目標達成に向けて精進していきたいと思います。

結局大真面目で退屈な文章になってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。