『変化』
こんにちは。今回部員ブログ「十人桐色」を担当させていただくことになりました、体育専門学群 短距離障害ブロック 短短パート 4年の喜多綾音です。
今回は私が思う「変化」について書きたいと思います。
拙い文章ですが、お時間のある時にでも読んでいただけると幸いです。
私は小学5年生で陸上競技を始め、大学4年生の5月まで、約10年間競技を続けていました。私が陸上競技を続けている10年の間に、地元の友達は部活を引退して、アルバイトを始めたり、サークルに入ったり、働き出したり、、、色々なことをしていました。地元の友達や近所の人は、私が大学生になってもいまだに陸上競技を続けていることに対して驚いたり、喜んだりしてくれました。
一方、筑波大学陸上競技部や体育専門学群の中にいると、小さい頃から今までの間、一つのスポーツを頑張り続けている人に沢山出会います。地元では驚かれることがむしろ当たり前であるような雰囲気さえ感じられ、入学当初は少し不思議な感覚でした。
さて、小さい頃から今までの長い間同じスポーツを続けていると、その分、自分自身の感情や考え方の変化に目が付きやすくなるのではないでしょうか。私自身、10年の中でさまざまな変化がありました。目で見てわかる変化としては、体型や髪型などが挙げられますが、私はそれ以上に、自分の内面の変化を実感しました。
例えば、日常生活の中での感情や物事に対する考え方、陸上や他のことに対するモチベーションなどです。10年間、陸上競技が私の生活の軸であり、その軸に沿って自分の内面の状況を判断することが多かったため、さまざまな変化に気づきやすくなったのだと思います。私の場合、自分の内面の変化を嬉しく思うこともありましたが、それ以上に「変わりたくない」と思うことの方が多かったです。自分自身の考え方が変わることが嫌で、変化を抑え込もうとしたこともありました。具体的に自分の中で嫌だった変化と言えば、陸上競技に対しての感情や考え方です。
高校生の時は「陸上競技に全てを賭けたい」と思っていましたが、大学生の自分は「陸上も頑張りたいけど、それと同じくらい、時にはそれ以上に他のことも頑張りたい」と思うようになっていました。大学生の私は、高校生時代の「陸上競技に対する一途な気持ち」が変化しているのは自分の「甘え」だと思い、早く前のような「陸上競技一筋」の自分に戻りたいと思っていました。
しかし、今思い返すと、このように自分の変化を認めないことは、不自然なことであり、また、寂しいことなのではないかと思います。なぜなら、誰にでも自分の感情や考え方が変わることはあり、そのような自然なことを、今までの当たり前から悪いことだと決めつけるのは、もったいないと思うからです。私の場合、「陸上競技を頑張りたい」ことに加え、「他のことを頑張りたい」と思うようになった変化は、一見感情や考え方に矛盾を生じさせるように思えますが、実際はこの両方が本当の私の感情や考え方であり、この二つがあってこそ当時の私を私たらしめていました。
私だけではなく、誰しもが自分自身の内面の変化を受け入れ難かったり、戸惑ったりすることはあると思います。しかし、自分の感情や考え方がいくつもあって、もしそれが矛盾しているように感じたとしても、時にはそれら全てが自分の本心であると割り切って受け入れ、進んでいくことが必要なのではないでしょうか。生きていればどのような人にも変化は訪れます。変化に正解、不正解はないので、自分の変化を感じたときにはその変化を嫌がらず、時には自信を持って受け入れてあげることで、これからの人生をより素敵なものにできるのだと思います。
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
筑波大学陸上競技部
体育専門学群4年
喜多綾音
◇今日のコラム◇
喜多綾音(きた あやね)
体育専門学群 4年
京都・京都市立西京高校
短距離障害ブロック・100m
競技会委員会