【十人桐色2024】#12「よくある質問:『なんで芸術専門学群なのに陸上部にいるんですか?』」曽我部隆伍

お世話になっています。短距離障害ブロック短障パート4年の曽我部隆伍です。

2週間以上前に日本インカレが終わってから、ずっとほんのり体調不良です。頭と喉、あと2割のところが回復してくれません。

しかし先日の卒業制作の中間発表はガラガラ声のおかげで先生陣の同情を買えたのでプラです。

 

 

日本インカレが競技人生最後の対校戦でした。最後のインカレが地元神奈川開催であったことなんとも幸運だなと。これ確実に日頃の行いです。

いやしかしインカレでスタンドから同期の活躍を見ると、いろんな感情が沸いてきます。

自分が今笑ってるのか、下唇を噛んでるのかよく分からない。嬉しいのか悔しいのか、頭の中を一つにまとめるには、仲間、友達、ライバル?今までこの競技場で立ってきた立場が多すぎます。

でも、チームメイトだから嬉しいのも、チームメイトだから悔しいのもきっとどちらも正しい。対にある感情を同時に味わうのは、私たちが勝つことから目を背けていない証です。

これは、苦労を美談にかえない私たちだから得られる特権です。

 

やっぱり本気でやるから面白い。というか、本気でやらなくちゃ何も感じられない

そんなスポーツの普遍をこの身で感じたインカレでした。

 

 

 

 

弊部の公式Xでは、インカレ中にリアルタイムで結果速報を行っています。その際、氏名の後にカッコ抜きで学群も記載されますね。
大体の選手は体育専門学群なので(体育)です。しかし中には(国際)(理工)(医学)なんて選手も。

私の場合、それはなんと(芸術)です。いやほんとすみませんいつも2度見させてしまって。

私は芸術専門学群・プロダクトデザイン領域に所属し、工業製品の意匠を専攻しています。

 

 

段ボールでどれだけ丈夫な椅子を作れるか実習

「なんで芸術専門学群なのに陸上もやってるんですか?」

入学からたくさん聞かれてきたこの問いには、高校3年で陸上競技を辞められなかったからと答えてきました。

 

 

 

じゃあ逆に、私が陸上競技を辞められる時っていつ?

 

 

 

今回は、高校3年の時に考えたこの問いを整理する文章にしたいと思います。何卒お付き合いください。

 

元々大学では、デザイン工学を学びたいと思っていました。その専門の予備校が通いやすい立地の高校を選ぶほどに、中高生時代の私にとってそれは大きな軸でした。そのため、高校で陸上競技を辞めて一つの専攻に絞ることになんのためらいもありませんでした。

しかし、インターハイが中止になったことで終わりという終わりがなくなり、まあ辞めること自体は構わないけれど、このままフィードアウトしていっていいものだろうか、と悩みました。高校3年の5月のことです。

 

その時、「続けるか、やめるか」という二者択一ではなく、「ここまで真剣に取り組んだ陸上競技を、辞めていい時っていつだろう」と考えました。

 

「高三のインターハイに入賞して、陸上競技を辞める」
私が高校1年の頃に立てた目標です。インターハイ入賞ができたら、私は結果に満足して陸上を辞められると思っていたのです。

 

しかし、横の7人だって全力で勝ちに来てるこの競技で、満足する結果なんて出そうと思って出せるものなのでしょうか。
もっというと、満足なんてしようと思ってできるものなのでしょうか。

 

いやきっと私が陸上競技に満足する日なんてこなさそうだぞ、と。

18年間を通したささやかな成功体験のいくつかを経て、私はできないことができるようになることが好きなだけなんだとわかりました。

 

競技でも制作でも、大きな目標を達成した時の満足感はやはり大きく強いものです。しかしそれが失われていくのもまた早く、かけた時間の割にあっという間に空っぽになってしまいます。だからすぐにもっと大きな満足感を求めて次の「できないこと」を見つける、そんな人間だと知ったのです。

 

 

 

 

 

補助輪なしで自転車に乗れるようになった日のことを覚えています。家の前の車通りのない道路で、サドルをつかんで支えていたはずのお父さんが真横に現れたことで、すでに自走していたことに気付きました。

きっと5歳の私にとって、それはもう大きな成功体験だったはずです。しかしそれも束の間、少し喜んだら立ち漕ぎに坂道、また次のできないことへ走り出します。そうして幼稚園年長の頃に補助輪が外れてから、小学3年生の時にはお父さんと熱海の温泉まで行くほどに上達しました。

 

学生時代もできないことができるようになることの繰り返しでした。

 

全国大会が決まったら、達成感に浸るのも束の間、全国大会での目標をすぐに考え始めます。

大学に受かったら、少し喜んですぐに一人暮らしなど、現実的な悩みを考えます。

長い時間をかけて取り組んでいた「できないこと」を達成できたはずなのに、少し休んだらすぐにまた次の「できないこと」へ走り出してしまいます。

 

帰納法に当てはめると、私が真に陸上競技に満足する日なんてこなさそうだぞと、「満足して辞める」は叶いそうにないなと考えました。もう一冬過ごせばできるようになるかもしれない「できないこと」をいつか、ほったらかしにしたまま終わらなきゃいけないのだと分かったのです。

だから高校3年の私は、満足して終わらなくて良いからせめて納得して終わりたいと思いました。その時抱えている「次のできないこと」をできないまま競技を終えることに納得して、終わりたいなと思ったのです。

 

例えば、競技をしていると、終わった後に「ちょっと考えたらそれくらいわかったじゃん」と自分にゲンナリすることがよくあります。みんなもあると思います。しかし、結果が出てから「こっちの方が良かったわ」なんてことはいくらでも言えます。それは反省とは言わず、単に過去の自分に不親切なだけです。

 

反省するべきは、その時、その状況のその自分が本当にできそうだったかで、その上で「いやいやその時の僕にやれることはやったなあ」と納得できる、それを目指す競技人生にしたいと思ったのです。

 

その上で高校時代の競技は、アクシデントへ後手に後手に回っていた2年間だったなと振り返って、コロナの有無に関わらず決して「納得」できるものではなかったと思い、大学を探し直して陸上とプロダクトデザイン、両方打ち込める環境を探しました。

 

 

 

 

そんな5年前の選択を経て今、今度こそあと2週間で陸上競技から離れます。
しかし、抜き足をもっと膝高く持ってきたい、インカレで決勝に残りたい、日本選手権に出たい。これらの「できないこと」をできないまま、私は陸上競技から離れます。
できそうな気配はあれどできなかったのは、きっと私がその過程で小さな選択ミスを繰り返したからです。大袈裟にも4年間ずっと競技と向き合い続けたとは言えません。たくさん逃げました。でも諸々棚に上げて、その時に僕にできることはおおむねやりました。高校3年のあの頃に比べて、随分と辞めていい理由が揃ったように思います。

 

後悔はたくさんあります。本当に日本選手権に出たかったし、全カレ決勝に残りたかった。
しかし、「あの怪我さえなければ」、「4月にこうなっていたら」、後になって出てくる全てのたらればの後悔を、できそうだけどできなかった自分にきちんと納得しています。だから、今ある「次のできないこと」は全て返上して、私は競技を終えられます。

 

 

 

以上です。

よく体裁の整った文章でしたが、当時からここまで自分の考えがまとまっていたわけではありません。「なんで芸専なのに陸上部入っているの?」とか「両立ってできるものなの?」なんてたくさん聞かれていく中で輪郭がはっきりしていって、少しずつ上手に説明できるようになっていきました

 

 

さて、10/20の筑波大競技会をもって競技を終えて、卒業制作も無事に完成したら、来年度からは社会人になります。駆け出しのクリエイターとしてイロハを知るところから始まるわけですが、ただそれが陸上競技でなくなるだけで、同じように目の前の「できないこと」一つずつ面白がって、のんびり前進していけたらと思います。やりたいこと、つくりたいものたくさんあります

 

 

 

うーん、文を見返すとどうも温度感が低くて淡白になっている気がしますが、陸上競技にありったけの愛を込めて書いたつもりです。
なんて潔いこと言いましたが、練習中普通に「まだ辞めたくない」を連呼してます。全然未練ありますやっぱり。
同期のみんなも、今までお疲れ様。
続ける人、来年からは一陸上ファンとして、みんなの活躍を働くモチベーションにさせてください。筑大競から世界陸上まで全部見てます。

 

読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

短距離障害ブロック 短障パート 4年 曽我部隆伍