【十人桐色2025】#1「人生イントロ」樋口隼人

今回執筆の機会をいただきました主将の樋口です。

専門種目は110mHです。体育専門学群3年、運動生化学研究室に所属しています。

普段の練習から試合のアップまで鼻歌を歌っている時は調子がいいらしいです。難しい顔をしていることの方が多いかもですが基本的におしゃべり好きなので適当に声をかけてくれたら嬉しいです。

 

前回リレーブログ執筆の機会をいただいた際は男子校について話をさせていただきました。今回は主将に就任した僕自身をもっと皆さんに知ってもらうべく普段のトレーニングで大切にしている「仮説」と「因果」について、以前よりもちょっと真面目にお話しさせていただこうと思います。小難しく考えることが好きな僕の性格がなんとなく伝わるかなと思います。

「全日本インカレ閉会式後、短距離同期と」

 

皆さんは普段、練習をするにあたり何を考えていますか?

 

差し当たって思いつくところではざっくり技術面、身体面、精神面の改善といったところでしょうか。これらの全ての側面を踏まえて自分自身の現状を評価し、網羅的に取り組むことは競技力を向上する上で不可欠です。ですがこれら全てで100点満点を取るのはおそらく不可能ですし、何が100点なのかも私たちには分かりません。そこに明確な答えがあるのであれば世界中のランナーは最終的に全員同じ体つき、同じ走り方、同じタイムになるはずです。それこそ生まれ持った身体的特性だけが結果を決める要因になってしまいます。

 

でもそうではないのが陸上競技の面白いところです。一人一人身体特性が異なり、感性が異なり、目指す場所が違うからこそ、その選手の特徴や強みが生まれます。はたまた一方でみんな違ってみんな良い的な状況の中、最終的な目的は共通で今より「速く走ること」「高く、遠くに跳ぶ事」「遠くに投げること」に集約すると思います。プロセスは何万通りとあれど目的は共通。これもまた陸上競技の面白いところであり、難しいところだと思います。

 

ではこんな自由度の高い陸上競技を究めていくために何が重要でしょうか?

ここで先ほど触れた①「仮説」と②「因果」を挙げたいと思います。

 

ここで僕がいう仮説とは「めいめいの複雑な課題を紐解き、改善に至るまでの自分なりの解法」であり、因果とは「競技における技術的、身体的、精神的な課題とその原因の関係」を指しています。広辞苑に載っているような細かい言葉の定義は知らないです。

 

僕の専門であるスプリント種目は循環運動であり、大元の課題の所在が特定しにくいです。実際に見かけ上の課題があった場合、その瞬間自体が原因なのか、その一つ前の動きが原因か、さらにもう一つ、もう一つ、、、あるいは一つ先の動きに向けた自分の内側の意識が原因か、もう一つ先か。こんなものは頭で考えるだけで特定、改善できるものではありません。加えてその瞬間自体が課題の原因であることってほとんどないです。経験則的にも9割9分他に原因があります。だから時系列的に直前の動きに原因があるとするのであれば、一つ一つ遡る中で感覚のずれを探さねばなりませんし、後の意識の持ち方が問題であるとするならば実際に求める正しい感覚を別で作った上で、どう変化するか検証しなければなりません。これは現場でしかできないことであり、動きの変化を自分で感じ取るしかありません

いわゆるブルースリーの「考えるな、感じろ」です。

 

だからこそ求められるのは「①仮説」です。自分の動きはどこに問題があるのか仮定し、どうすればその原因が改善できるか、実際に試してどうなるか。原因が正しかった場合、どのように動きにどのように変化が生じるのか。この想定までは現場でなくてもできます。いざ競技場で考えてばかりでは時間も足りませんし、集中力も続きません。いくつかエッセンスを持って競技場に出むき、実践の中で仮説を実行し、良い感覚を探す。この方がコスパもいいし、やるべきことも明確です。また仮説の答えは○か×しかないので根本の原因に仮説がヒットした時に初めて求めていた変化が生じます。これが「②」を正しく評価することです。だからこそ技術的な変化は核心を捉えた一瞬を境に大きく変化しうるのであり、求心性のFBをより繊細に獲得することでその瞬間を逃さないために私たちはオフ明けなど体がフレッシュなタイミングで技術練習を多く行うわけです(Don’t think. Feel!)。正しい因果関係が見えれば、そこに向けた技術練習、フィジカルトレーニングを増やし、感覚の増幅、自動化をより効率的に図ることもできます。

 

こうして課題に対する仮説を立て、実行、評価する中で正しいアプローチを発見することで正しい因果の理解をもとに課題が改善され、また新しい課題の仮説へと繋がっていきます。ひたすらこの繰り返しがトレーニングであり、良い感覚を体現するにあたって身体的能力が足りない場合であったり、体得した感覚をより大きな力発揮のもと実現するためだったりの手段として、みんな大好き練習後の補強や、ウェイトトレーニングがあるわけです。

だからこそ全てのトレーニングは文脈的であるべきであり、一見繋がっていないように見えても最終的に一つの目的に繋がる必要があります。

「授業中、不意に鉄棒が踏切の練習になる気がした」

 

こんなようなことを少ない知識と経験のもと中学2年生くらいから少しずつ考えるようになりました。きっかけは中学2年生の秋、初めて出場した新人戦県大会の予選でフライングをした時です。のちに映像で確認しましたが、びっくりするくらいフライングしてました。

 

走る気満々で準備してきた決勝レースに進出することも出来ず、ライバルたちの記録が電光掲示板に掲示されていく光景は思春期真っ盛りの多感な僕にでかめのダメージを食らわしてくれました。そこから本気で陸上競技で勝つためにはどうしたらいいか自分なりに考えるようになり、その思考は後に陸上が全てになった僕の性格そのものにも反映されていきました

 

この一件を通じて考え方が変わったのか、素の性格が露見し始めたのかはわかりませんが、今考えれば良いきっかけだったように思います。

 

今の僕が生まれたあの瞬間から月日は流れ、体つきも変わり、色々な成功と挫折を重ねる中で直線110mという距離を3秒も速く走れるようになりました。

 

たかが3秒、されど3秒。この3秒間に僕の青春8年間分が詰まっています。

 

あと何秒速くなれるかな。

 

歳を重ねてポジションは変わり、筑波大学陸上競技部の主将となった今でも自分自身に求めるゴールは変わりません。今まで通り楽しい予感がする方法で、未完成を楽しみながら

 

12/27追伸

怪我のリスクは本当にどこにでもあるようです。皆さんお気をつけて、、、。