皆様、はじめまして。
新男子長距離ブロック長の小山洋生です。出身は埼玉県所沢市、所沢北高校です。
所沢の魅力についてこのページすべて使って語ることもできますが、ここでは「わたしと箱根駅伝」という(ありきたりな?)テーマで、幼少期から筑波大駅伝主将となった現在にまで至る、箱根駅伝に対する私の思いをお話させていただきます。
(※本ブログ執筆時は12月上旬のため、関東学生連合チームの3区で箱根駅伝を走る前のものになります。箱根駅伝を走っての振り返りはこちらへ!)
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筑波大学箱根駅伝復活プロジェクトHP「チームへ繋いだ未だ見えない襷~第101回箱根駅伝をインタビューで振り返る!!~」
私が陸上競技を始めた原点は、お正月に祖父母の家で観ていた箱根駅伝にあります。親から聞くところには物心つく前から観ていたようですが、私が観ていた箱根駅伝のなかで、その走りを今でも鮮明に覚えている一人の選手がいます。
それが、現在日本の陸上長距離界のカリスマ的存在であり、当時早稲田大学に所属していた大迫傑選手です。
長く険しい箱根路を軽やかに、クールに駆け抜けていく姿は、当時陸上素人だった私にとっても衝撃的でした。
その姿に憧れて私は走り始めました。
中学では陸上部がなかったため高校から本格的に陸上競技を始めた私は、大学を選ぶ際には「箱根駅伝出場」という夢を叶えられるかどうか、を基準に考えていました。
その時期でした。
私の目に飛び込んできたのが、当時26年ぶりの箱根駅伝出場を果たし、メディアには国立大学での出場校として注目されていた筑波大学です。
私立大学には高校時代から力のある選手が推薦入試で何人も入る一方で、国立大学である筑波大学は高校まで実績のない選手がほとんどです。そのハンデがあるなか筑波大学は、大学に入って力をつけた選手がそれまで歯が立たなかった選手たちを相手に予選会突破を果たし、箱根駅伝を走っていたのでした。
その挑戦する姿を知った私は、シンプルにかっこいいと感じ、「この大学で強くなりたい、箱根駅伝に出たい」と考えるようになりました。
無事憧れの筑波大学での競技をスタートできたのですが、現実は厳しいものです。1年生から3年連続で箱根駅伝予選会に出場したものの、高校生の私が見た96回大会での出場からは予選敗退が続き、筑波大学は箱根駅伝出場から遠のいています。
それでも筑波大学は箱根駅伝に出場するべき大学であると私は考えます。
箱根駅伝を創始した方こそ、筑波大の大先輩である金栗四三さんです。
101回目が開催された箱根駅伝。その第1回目の優勝校は、当時東京高等師範学校であった筑波大学です。
これほどまでに箱根駅伝に縁のある大学は他にありません。
箱根路で筑波大学の襷をつなぐために私に残されたチャンスはあと1回です。ラストチャンスを掴むための勝負の年がすでに始まっています。
今までは自分のことだけを考えて競技をしてきましたが、駅伝主将として新たなスタートを切るにあたっては、自分の行動がチームの基準となり、良くも悪くもチームの雰囲気を作ることを心に留めています。
その上で私自身がもっと強くなるべく、これまでの3年間よりもさらに妥協なく競技に取り組む覚悟です。その姿勢がチームに伝播し、チーム全員が意識高く競技した先に「箱根駅伝出場」が実現すると考えています。
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長くなりましたが、これを読んでくださっている皆様に私の箱根駅伝に対する思いをお伝えできたでしょうか。
普段は口数少ない私ですが、わりと「熱い」人ですのでぜひぜひ話しかけてください!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。