大学陸上人生実験レポート
筑波大学 理工学群化学類
男子長距離ブロック 4年 松浦海瑠
掲載日:2026/2/18
1. 序論
1.1 ご挨拶
この度、卒業生投稿の執筆機会を頂きました、男子長距離ブロック4年松浦海瑠です。十人桐色という、素敵な企画に参加させていただけること、非常に光栄に思います。文章を書くことが大変苦手なため、拙い文章となるかと思いますが、隙間時間にでも、ご一読いただければ幸いです。
自分の所属が理工学群化学類という、スパルタレポートを課される学類として有名(?)であるため、自分の大学陸上人生を、実験レポート形式で振り返りつつ、考察したことを書かせて頂こうと思います。
(ネガキャンでは無いです。学問を修めるには必要な事です…)
また、現在、卒論提出前につき多忙を極めているため、本文章の精査が十分でないことをお詫び申し上げます。((何故3/13まで卒論を…))
1.2 きっかけ
筑波大学陸上競技部という環境を選んだ理由は、大きく2つ有ります。
まず1つは、”箱根駅伝への憧れ“です。走ることが好きだった小年(少年)松浦は、陸上を始めてから、箱根駅伝という夢の舞台に大きな憧れを抱いていました。中学校の卒業アルバムを見ても、多くの友人から、箱根駅伝で自分が走る姿を期待するコメントを頂いていました。周りからの大きな期待も、箱根駅伝という舞台ならではであると思います。”箱根駅伝に出たい”という目標だけであれば、駅伝強豪校の私立大など、に進学する事がやはり近道であるという事は、高校生の自分でも理解していました。
しかし、筑波大学を選んだ理由は、2つめの理由である、“文武両道”です。学問を修めながら、箱根駅伝という夢舞台を目指すことの出来る、筑波大学という環境に、身を置くことを決めました。
2. 実験・結果:4年間の競技生活振り返り
2.1 “入学“そして”挫折“
大きな期待を胸に入学をした自分を待ち受けていたのは、“故障”という大きな壁でした。高校時代の自分は、1500 mを主戦場としてきたため、“ハーフマラソンに向けた強化”という、文字通り桁違いの練習量に耐えきれず、2年という長い期間、故障を繰り返していました。この故障期間は、暗く長く、先が見えず何度も心が折れそうになりました。


2.2 転機
3年生、転機が訪れました。それまで2年間故障を繰り返していたことが嘘のように、故障をしなくなりました。この転機は、偶然に起きたことではなく、2年間という、長い故障期間、愚直に補強や、ケアなど、意味が有るのかと何度も疑い、それでも諦めなかった事がやっと、なんとか、成果として現れてくれたと考えています。また、3年生は、学類で1番苦しい時期と言われており、学業との両立に苦しむ時が多くありましたが、ある一つの考えを大切に、取り組みました。
そこからは、コンスタントに試合に出続け、関カレB標準突破、関カレA標、全カレB標突破と、3ヶ月うちに、今までの1500mの自己ベストを8秒、5000mでは23秒更新することが出来ました。

2.3 夢にまで見た、箱根への挑戦権
3年目にして、初めての箱根駅伝の挑戦権を得ました。
大きな自信を持って望んだ、第101回箱根駅伝予選会、私を待ち受けていたのは、あまりにも残酷な勝負の世界。個人は109位で目標には及ばず、チームも総合18位と、惨敗しました。

ⒸMasahiro TOKUNO
2.4 最終学年
4年目は、男子駅伝副主将として、競技に取り組みました。
ブロックを代表する者として、箱根駅伝出場・日本インカレ入賞を目指し取り組みましたが、覚悟と責任が空回りし、日本インカレは、1秒上がったB標準までの0.16秒を短縮できず、出場はかないませんでした。
箱根駅伝予選会では、個人では107位、筑波大学は総合16位と、本選出場となる10位以内に導くことが出来ませんでした。

2.5 結果
4年間の成長を数字で見てみることとします。
1500m :3’57”36→3‘49”16
5000m :14’48”67→14’16”20
10000m :× → 29’47”61
ハーフマラソン:× → 1’03’56
インカレ :関東インカレ×1回
箱根駅伝予選会:出走2回(109位,107位)
2年生までは、自己ベストを更新できていなかったため、3,4年の2年間のみでの自己ベスト更新となります。数字だけ見ると、少しは成長できたように感じますが、目標は、箱根駅伝出場、全日本インカレ入賞であり、達成することが出来ませんでした。
以下の考察で、自分が怪我を乗り越え成長できた理由、また、目標を達成できなかった理由について考察します。
3. 考察
3.1 妥協は悪か
ここまで、長々と自分の4年間を振り返ってきましたが、
私が4年間の経験を通してたどり着いた一つの答えは、
「自分のキャパシティを正確に把握し、限界を越えそうな局面では、最善の妥協点を見出すこと」
です。
妥協なく物事に取り組むことが良しとされるこの世間体において、この論を唱えることには些か憚られますが、少なくとも一個人の陸上人生を救ってくれた考え方であると確信しています。
この考えに至ったのは3年次のことでした。化学類最大の難関である「週9コマの実験」、そして週末から週明けにかけて課される、毎週10,000字程度の膨大な量の実験レポートに、平常授業の課題……。どれほど効率を追求しても、提出前夜の睡眠時間が3時間を切ることは珍しくありませんでした。

こうした極限状況下で、全ての練習を完璧にこなすことには限界があります。
この経験を経て、私は自分のキャパシティを見極め、日々の練習の中で「譲れない練習」と「合格ラインを越えられれば良い練習」を分けて考えるようになりました。身体の細かな変化に敏感になり、限界を攻めつつも、決して崩壊させない。この「セルフマネジメント能力」こそが、競技を継続する上での生命線となったと考えています。
学問が多忙を極めた3、4年次においても、コンスタントに結果を残し続けられたのは、この思考を堅持できたからに他なりません。
しかし、裏を返せば、この考え方が「箱根駅伝出場・全日本インカレ出場」という高みへの到達を阻んでいた可能性も否定できません。自己ベスト14分台後半の選手が箱根を目指すには、並大抵ではない努力が求められる事は、この4年間で身にしみて感じていました。しかしこの考え方を持っていたことで、己の器を押し広げようとする作用にブレーキをかけ、成長曲線を緩やかにしてしまったとも捉えられます。
つまり、この考えは「一個人の陸上人生の救い」であったと同時に、「限界突破を阻む制約」にもなり得るという、二面性を持っていると考えられます。
”限界を越えて挑む勇気”も、”限界を見極めて踏みとどまる賢明さ”も、どちらも、正解の無い問いへの等しく、尊い解答であると思います。この4年間で、その両方の解答を試し、納得いくまで競技に取り組むことが出来た事は、本当に幸せでした。
理想と現実の狭間で葛藤したこの4年間の軌跡が、同じように苦しむ誰かの一助となれば幸いです。
4. 謝辞
最後になりますが、指導者、同期、先輩後輩に恵まれ、支えられ、非常に充実した大学陸上人生を送ることが出来ました。心より御礼申し上げます。
また、箱根駅伝復活プロジェクトでは、沢山のサポーターの皆様のご支援、ご声援のおかけで、充実した強化を行う事が出来ました。心より御礼申し上げます。
これからも、筑波大学陸上競技部並びに、筑波大学箱根駅伝復活プロジェクトに変わらぬご声援を賜りますよう、お願い申し上げます。

男子長距離ブロック4年 松浦海瑠