【十人桐色】#49 『文と武は別物なのか』小野遼秋

『文と武は別物なのか』

 

はじめまして今回のコラムを担当させていただく事になりました小野遼秋(おのはるあき)と申します。

先ずはこのような貴重な機会をいただきありがとうございます。と言うのがいつもの断りかと存じておりますが,この文を書きはじめた今も私は執筆に関して乗り気ではないのです。私はこのような公の場で話すようなできた人間でもありませんし,自分について発信することはなかなか勇気のいることです。

2ヶ月前にも執筆依頼をいただいており,一度はお断りさせて頂きましたが,担当の同期E君が頭を丸めてまで懇願してきたので流石に書く事にしました。拙い文章ではありますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

 

さて,冒頭からネガティブな書き出しをしてしまった私のことを少し紹介しておこうと思います。

在籍は理工学群工学システム学類で,陸上競技部においては短距離障害ブロック短短パートに所属しております。生まれも育ちも京都府ですが,小学校高学年から中学1年生の間少し東京に住んでいました。東京に在住している際,陸上の部活やチームにも属していないのにひょんなことから,東京国体の強化選手の合宿に参加させて頂いたことが陸上をする事になったきっかけだと思います。

私がどんな人間かと申しますと,興味が広く浅いと言う言葉がしっくりくるかと感じます。

日常生活においては割とどんな会話にも入れるけど深い話はできない,そんな人間です。

昔から,将来の夢や目標を立てるのが苦手でした。なぜなら,何にでも興味があるし,何にも思い入れが無いからです。

 

そんな私が今回この文を読んでくださる皆さんに私の考えの一部を共有できればと思います。テーマは文武両道についてです。

この言葉は,国立でありながらインカレや箱根駅伝で活躍する筑波大学陸上競技部に関わる皆さんであれば,幾度となく周りから言われたり,また,自分から掲げたりしてきたのではないでしょうか。

「文」は読み書きや歌から,「武」は武術や武道から由来したのではないかと言う予想は想像に難くないと思います。それらをどちらもこなすことを文武両道といったのでしょう。現在においては「文」は勉強を,「武」はスポーツを表すことが多いように思います。ここで,果たして「文」と「武」は本当に別物なのか,ということを考察してみたいと思います。

 

先ほど,「武」は武術やスポーツを表すとお話ししました。では,何かを争う事が「武」で表されるのでしょうか。ここで争いと言う言葉から戦争について考えてみましょう。

皆さんは冷戦(冷たい戦争)をご存知でしょうか。アメリカを主とした資本主義,自由主義の西側陣営とソ連を主とする共産主義,社会主義の東側陣営が直接軍事力で交わることなく対立していたことを表す言葉です。

冷戦時代,世界の覇権争いは宇宙開発の場で行われたと言われています。人類で初めて有人宇宙飛行を成功したのはソ連のユーリガガーリンであるのに対し,初めて月面に着陸したのはアメリカのアポロ11号であったことを踏まえると実感していただけると思います。宇宙開発で対立していたと言うことは,研究,言い換えると「勉強」で争っていた事になります。

こう考えると,争いと言う観点では「文」と「武」に違いがあるとは言えないように感じます。次にもう少し身近に,陸上を例に考えてみましょう。

陸上においては記録という明確な目標があり,目標に向けて自分と向き合いギャップを埋めていく作業が練習であるといえます。ギャップを埋めるためには,フォームが悪いのか,筋力が足りないのか,はたまた絶対的な練習量が足りないのかを考えていきますが,この試行錯誤はまさしく自分について,競技について研究,勉強していると言えないでしょうか。またしても「文」と「武」が繋がりました。

 

ここで少し私の経験則もお話ししておきましょう。先述したように,興味が広く浅い私は,文理問わず興味を持ち,陸上以外にも様々な種目を経験するなど,ずっと選択肢を減らさないことを意識して生きてきました。

いつかやりたいことが決まった時になんでも出来るように準備しておこう,と言う思考です。そうやって選択肢が減らないように様々な事に手を出してきた中で,一つ共通点を見出しました。それは,どんな分野,種目,仕事においても,課題に対して本質を見極め,追究する姿勢が重要であるということです。

そんなこと当たり前だと思われるかもしれませんが,この共通点がある以上,あらゆる事象を明確に区別する必要は無いのではないかと思います。過去の人々の生活を知りたい。この現象を解明したい。誰かより足が速くなりたい。これらの課題に対して,本質を追求する手段の一つが歴史であり,物理であり,陸上であると言えるのです。

 

以上のように述べてきた事から,今回の文武は別物なのかという問いに関する私の結論は,

 

文」と「武」に明確な壁はなく,物事の本質を追究するという点で繋がっている。

 

です。勿論,「文」と「武」には「静」と「動」といったイメージがあり,そのように分けると別物とも言えるため異論は認めます。あくまで私の考え方ですので,「ふ〜ん。」という気持ちで流してください。

書き始め,乗り気では無いと言いながら結局長々と語ってしまいました。ここまで読んで下さった方は本当にありがとうございます。私という人間の考えを少しでも知っていただけると嬉しいです。お付き合い有難うございました。

 

〇今日のコラム〇 

小野遼秋(おのはるあき)

【個人ページはこちらから】

理工学群工学システム学類 3

京都府出身

京都市立堀川高等学校

短距離障害ブロック・100m

競技会委員会