リレーブログをご覧の皆さまこんにちは。大洋よりバトンを受け取りました、短距離4年の酒井寛之です。
大洋とは研究室が一緒で、12月は共に不眠不休生活をしました。お互いお疲れ!
(卒論提出間際の研究室の雰囲気)
(研究室メンバー)
(前回担当、佐藤のブログはこちら)
リレーブログを企画した張本人として、これについて少し書きたいと思います。
まず、リレーブログについての説明と意義について。リレーブログは、京都大学硬式野球部の部員ブログ「吉Gのキセキ」を参考にして始まりました。なぜ京大野球部のブログなのかというと、元々ファンだったことに加え、数ある部員ブログの中で一番面白いと思ったからです。
(9月に京大の試合を初観戦)
そして意義(目的)について。色々ありますが、一番大きいのは「応援される組織」を作るための一助とすることです。組織内外の方から応援してもらう(認知してもらう)には、競技成績だけでなく、選手の人間的な魅力を知ってもらう必要があると思います。応援してくれる人の数は選手(組織)の魅力に依存しますが、その魅力を発信することは、陸上競技(大学スポーツ全体?)においてはなかなか行われません。東京六大学野球などのファンが多い人気カテゴリーにおいては頻繁にメディアからの取材があり記事にもなりやすい(=選手やチームの魅力が発信されやすい)ですが、駅伝を除く大学陸上が取り上げられることは残念ながら多くはありません。実際に六大学の試合を観戦した際には、盛り上がりや華やかさ、見に来る観客の数(早慶戦でなくても1万人以上が来場する)など陸上がこうなるのは難しいなと思わされました。
(楽しすぎた明治と慶應の応援席から)
そのような注目度が高いと言えない状況において、自分の考えていることを発信することは何かの糸口になるはずで、その手段としてのリレーブログというわけです。
成功したかどうかはわかりませんが、リレーブログがきっかけで取材依頼が来た部員もいますし、無駄にはならなかったのではないでしょうか。取材までは行かなくとも、地元の友人や卒業生の方から連絡があったという話は色々なところで耳にしましたし、最低限の目標は達成することができたと思います。
次に、リレーブログという企画名についてです。
企画名を過去の広報活動の一つである「十人桐色」にしても良かったのでは無いかと感じた人もいらっしゃるかもしれませんが、僕はそうは思いませんでした。コロナが終わった今年度は、20年近く成し遂げられていないインカレでの男女総合アベック優勝が達成される可能性がありました。そんな歴史が塗り替えられるかもしれなかったくらい強いチームで、安易に過去の企画名を使用するのは違うかなという所です。
以上がリレーブログのあれこれになります。
改めて、執筆を引き受けてくださった方々、ありがとうございました。
陸上がそこまで好きではない話をしようかと思っていたんですが、大洋と似た内容になってしまうので、変更してタイトルについて書こうと思います。
このタイトルの言葉は、浪人中にたまたまSNSで見かけ、それ以降、事あるごとに心に浮かんでいました。何度も頭に浮かぶと自然とメンタルも変わるようで、失敗しても良いから後悔のないようにやってみようと思えることが多くなりました(全部そのように動けるわけではないですが)。
今シーズン、6年以上更新出来なかった自己ベストを11.25→10.89に更新したことにもこの思いが影響していたと思います。一方、今年のPB更新は「奇跡だね」と言われることも何度かありました。しかし、自分なりに積み上げてきたことはあったと確信していたので、その度に「そうだねー」と受け流していました。以上の僕の考えとこれから話す経験が誰かの参考になるかもしれないので、タイトルの説明ついでに簡単に取り組みを書き記しておきます。
最後のシーズンを迎えるにあたり、高校2年の自分がピークとなってしまうことは絶対に避けなければならないことでした。今までと同じことをしていたら記録は伸びないと考え、納得して終わるためにも外部のトレーナーや治療家の方を頼ることに決めました。取り組み方だけでなく身体のどこかに欠陥があるから何年も自己ベストが出ていないわけで、これまでと同じやり方ではタイムが出るわけがありません。日頃の練習をしっかりやる、一人で自主練をすることは当たり前として、プラスαでオフの日を使って大阪、京都、広島に日帰りで向かい個別指導・治療を受けました。なぜ西日本まで足を運んだのかというと、その方々の拠点がそちらにあったというのが一番大きな理由ですが、SNSで色々調べてみた結果、この人たちになら懸けてみても良いと思えるような活動をされていたことも理由の一つです。(書くと長くなるので気になる方は聞いてください)
そこで教わる補強の継続と指導・治療を繰り返し、気づけば冬季が終了。4月に肉離れをしてしまい今年も厳しいかなと思いましたが、継続する内容を絞っていたおかげで夏に間に合わせることができました。
仮にタイムが出なかったとしても過程に後悔はしなかったと思いますし、大した記録ではありませんが、これがあってこその自己ベストだったかなと思います。
(人生が好調だった高2の酒井)
最後に広報委員会の皆さまへ。まず、様々な場面で負担をかけまくってしまい申しわけありませんでした。自分でも自覚していましたが、広報委員の方には相当な迷惑をかけたと思います。名前を上げればキリがありませんが、どんな時もパワープレーで「何とか」してくれた皆には感謝してもしきれません。
そしてご存知の通り、来年からは木佐に託します!委員会内で色々立場はあると思いますが、やってみたいと思ったことはぜひチャレンジしてみてください。活動の型が決まっていなくて何でも自由に出来るところが広報委員会の良いところだと思うので!
これからの広報委員会を陰ながら応援しています。考えすぎず、抱え込みすぎず、病みすぎず、壊れない範囲で楽しんでください!
同じ委員会でやれてよかったです。1年間ありがとうございました。
最後に、好き勝手やらせてくれた前委員長の泉さん、院生になっても協力してくれた兵藤さん、卒業間際まで何度もSNSに登場してくださった薄田さんや高良さんなど、沢山の方々の協力があってこその広報活動でした。本当にありがとうございました。
(頼れる広報幹部4年)
(しんどい時に見返していた、ももこさんからのメール)
以下引退ライフ
当初は今回で終わりの予定でしたが、少し延長して次回は樫原沙紀です。
副主将としてチームを引っ張り、競技部にとってなくてはならない存在でしたが、それは広報委員会にとっても同様でした。センス抜群で行動力があって、何度助けてもらったことか、、
とにかく感謝でいっぱいです、ありがとう!
副主将としての1年を終えた彼女が何を語るのか、お楽しみに!
酒井寛之(さかい ひろゆき)
体育専門学群 4年
茨城県/牛久栄進高校
短距離障害ブロック/100m
運営執行部
広報委員会(23年度委員長)